先日のテレビ出演の時に、思い出さされた故事がありました。
わたしが小学校1年の時に、育った札幌市は当時、アメリカ西海岸の
ポートランド市と初めての国際姉妹都市提携を結んでいた。
当時は札幌の人口は約70万人ほど。
ポートランド市というのは、現在人口が65万人ほど。
市の方針として、人口増加を抑制し続けてきたということですが、
調べてみたら、当時は約40万人規模だったそうです。
この街は、シアトルやバンクーバーなどと連携して北米西部海岸都市圏を
形成しているのだそうで、なかなかユニークな計画都市として知られる。
緯度的にも移民都市としての街の推移的にも、札幌と似た条件があるようです。
で、1958年当時、札幌も姉妹都市提携ははじめてと言うこともあって、
市民交流的な活動も盛んに行われて
その嚆矢として、お互いの街の子どもたちの「児童画」を交換するという
いいアイデアの企画が持ち上がった。いつの時代も子どもの視線は純粋。
わたしの当時の担任の先生が美術が専門の先生でもあったので、
みんなに絵を描かせたのです。で、三木少年は考えて、
アメリカの街の人たちに見せるのなら、日本的な相撲の絵が一番いいと考え、
当時の栃若の全勝対決みたいな絵を描いて応募したら、特選に選ばれた。
子どもの時のことなので、背景についてはあんまり知らなかったのだけれど、
わたしの絵を含めて、合計106枚の絵が寄贈されたのだそうです。
当時冬季オリンピックが北米で開かれ北海道新聞社が取材で行くので
その記者さんが直接持って行くということになった。
この頃は、東京への飛行機への登場者名簿が
毎日地元・北海道新聞に掲載されたという時代。
はるかな北米の街との交流は、そういった人間くさいものだったのでしょう。
こんな故事について、札幌市の国際交流関係部局に問い合わせたところ、
写真のような資料が添えられて、メール返信をいただきました。
ポートランドの市長さんが、児童画に見入っている様子。
ああ、ちゃんと見てくれていたんだと、うれしくなってきた。
肝心の絵の所在については、さすがに「寄贈した」ものであるので、
先方に所在確認するというのは、礼を失する可能性もあるので、
札幌市としては、言い出しにくいということのようでした。
まぁ、それはそうだろうと思いますね。
やはり個人として、先方に問い合わせるしかないだろうと思います。
でもこういう記録から、いろいろなことがわかって楽しい。本当に感謝。
そんなことを話していたら、ポートランド市について興味を持っていた
旭川近郊・東川の藤井工務店さんからこの街についての本もいただいた。
少年期に描いた絵、やはり自分の人生として、再会してみたい。
そんな思いがジワジワと募ってきている次第です。
Posted on 12月 2nd, 2016 by 三木 奎吾
Filed under: 歴史探訪
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