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【断熱要件なき概念拡散〜ガラパゴス「環境」建築論】

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北海道の建築家・藤島喬さんから投稿コメントをいただきました。
要旨は、日本の中央では「環境建築」というコトバの曖昧さが
勝手気ままな解釈を生んで、どんどんトンチンカンな方向に
行っているのではないかという危機意識でした。
世界的な気候変動問題があり、
人間のエネルギー利用由来による地球温暖化の危機が叫ばれている中、
その問題に立ち向かう最大の手段であり不可欠なものとして「省エネ」が
あるという基本認識、その「要素技術」の最大なるモノとして
「断熱」がある、ということは現代の共通認識だと思っていたけれど、
新建築住宅特集「環境住宅」特集号をめぐっての論議のプロセスで
実は、こういった共通認識、前提条件にズレがあることが見えてきた。

わたしたち日本の一部でもある北海道の側からすると
世界の動き、北欧や北米との長い時間を掛けた技術的「対話」から
共通の基本認識として、建築の「室内環境」をどう担保するのか、
そのエネルギーを最小化させる努力が、地球温暖化の対策になる、
それこそが「環境建築」概念の基本だと思ってきていた。
人間活動を過酷な外部環境から守る断熱は、
いわば世界共通技術常識の根底をなすと理解されてきている。
国交省や経産省など国の政策も、その方向にあることは公知の事実。
度重なる「断熱水準」の強化、義務化はそういう常識の進展であると。
そしてドイツが主導してEU総体として「パッシブハウス」へ舵を切ることで
世界の大きな技術底流になって来ていると認識していたけれど、
そうした今日、日本の温暖地域において「環境住宅」とネーミングして
前述のような「環境意識」とは大きく違和感のある
建築デザインに向かっている動きというものがあるのだと、知った。
どうも論議はそこからだということが、ようやくわかってきた。
理解しにくい「環境とつながる」という価値感の理念化、
それが建築にフィードバックされることで、
およそ省エネという概念とは「断絶」されたデザインの呼号になっている。
それを「環境」という拡散可能な概念・コトバで表現することで
あたかも現代アートの一手法であるかのように錯覚させている。
そこに「建築の可能性」が無限にあるかのように錯視している。

まさにガラパゴスだと、深く思わされるこの溝。
それでも渡るべきかどうか、深く悩んでしまう隔絶を
深いため息のようなものとともに、思わされている次第です。

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