きのうは8月1日。で、予想通り、
ようやく北海道札幌もほかの地域の仲間入りで、好天と気温上昇。
夏らしい夏が、ことしの8月はやってきそうな気が致します。
最近沖縄にいる娘の職場で、厄落としでもした方がいいような
そんな出来事の知らせがありました。
なんとなく気になっていたところ、きのう、朝の北海道神宮参拝時に
ふとヨコを見たら、なにやら目に付くものがあって、
人々がなにやら、言いさざめいている。
「あら、まだ残っていた」「ありがたいわ」・・・。
写真のものなんですが、どうやら、
毎月、神前でお祈りを捧げる際に神さまに献上する清めの塩が、
月初めに「お下がり」として一般に下賜されるのだそうです。
やはり神さまに一度捧げられたものと言うことで、
神威がそこに宿っているという霊験は期待したくなる。
わたし数年前から朝の参拝をしていますが、なぜか、
毎月1日の、それも早い時間には巡り合わせていなかったようです。
きのうは行った時間は午前5時台だったので、まだ残っていた。
神さまの授かり物なので、別に料金は決まってはいないようですが、
三宝が用意されていて、いくたりかの「お賽銭」も上げられている。
これは幸いと、小銭を奉納して、ありがたく頂戴してきました。
どうやら、娘のことを気遣った神さまが、たまたま巡り合わせてくれた。
娘に郵送しておくって、お守りにでもさせようと思います。
日本の「商売」の起源について網野善彦さんの著作などを読むと
こういう神仏が文化性として関与していることが知れます。
一度、神に捧げられたものには、「無主」性が生じて、
「交易」することが可能になる、というかたちで、
交易というものの仲介者として宗教が心理的手続きに関わってきた。
ものに「利息」や「利益」を付加して「売る」ことに
その心理的な罪悪感を解消させるのに、神仏・宗教性が関与した。
他にも、仏教を学んだ僧が、国際貿易の際の仲介者として
計数管理や、コミュニケーションを司っていたとされています。
そんな説が強いのだと言うことだそうであります。
さて本日から、坊主が帰郷しております。
夫婦ふたりの生活に、また子どものいる暮らしが復活。
やっぱりなにくれと、誰かのために気遣いができるというのは
とても幸せなことなのだと、知らせてくれますね。
本日もまた、早起きして食事のしたくなどにも
精を出していきたいと思っております。楽しい主夫生活(笑)。
Posted on 8月 2nd, 2015 by 三木 奎吾
Filed under: こちら発行人です, 日本社会・文化研究
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