さて本日はGWの前哨戦のような休日。
週の真ん中で、なにやら据わりの良くない休日でもあります。
ということで本日のブログは政治ネタ。なんですが、直近のことではなく、
どうして日本は、国家としての継続性がかくも長いのか、
そしてそのことがどんな意味合いを持っているのかについてです。
東アジア世界の緊張感が、中国の台頭とともに高まっているのが現状。
この中国という存在について、どう考えるかということがキーでしょう。
中国が経済的パワーを利用して、覇権的な動きを強めているけれど、
中国共産党一党独裁国家が、はたして世界を主導できるのかが大問題。
中国は、いまは共産党が独裁する中央集権国家。
その前の体制は、いわゆる孫文ー蒋介石が樹立した中華民国。
この政府は、国共内戦の結果、台湾に亡命政権を樹立して
戦後世界ではしばらくの間、中国共産党国家は西側から承認されなかった。
で、そもそも中国共産党国家とは、前政権を全否定して樹立された、
いわゆる中国伝統的な政権交代である「易姓革命」の現在形であって
イデオロギー的な共産主義思想は建前であり、
国家権力実態にはほぼ関係がないと言った方が正しい。
中国史とは、この易姓革命で前政権が全否定されることの繰り返し。
また韓国・朝鮮に至っては、統一国家としての歴史推移というよりも
いくつもの地域権力の相克が繰り返されてきた。
その上、中華国家への事大主義が国是のようになっていて、
統一的な国家意識の継続的存在自体、判然としがたい。
そういうなかにあって、アジアの東の果ての日本国家は
なぜか、天皇を中心とした古代律令体制の中央権力の成立以来、
「日本国家」という「公」が、存続し続けてきている。
よく欧米の日本史研究者から言われるという日本史の不思議、
なぜ、鎌倉幕府は天皇権力を温存したのか、
たぶん、世界標準の歴史ではあの時点で、王朝交代している。
鎌倉幕府の成立によって、剥き出しの武力権力に置き換わっても
また承久の変によって天皇や上皇などが一網打尽になっても、
しかし、象徴的な王権は存続し、国家の統一は維持されてきた。
いくつも違う国家がこの列島には成立したのが実態だけれど、
統一的な「まゆ」としての国家は、存続し続けてきた。
そういうわれわれの国と、易姓革命が歴史の常態である国の価値観には
やはり相当の開きがあると言わなければならない。
で、この「長く続いてきた国家維持」においての歴史的継続性の
日本人の智恵というもの。例えで言えば、
政治的混乱期に「時の氏神」というような存在が出現するような
日本史と日本的政治システムの不思議さが象徴的だと思う。
まるで八百万の神々が出雲で会議をしているような光景。
わたしたち社会は、まだ十分にその意味合いを把握できていないと思う。
われわれ自身すら、この価値観について認識できていないので
もちろん、諸外国に対してそうしたアピールもできていない。
やっぱりこの国は「和」の国であるというのが結論なのだけれど、
もう少し、目的的にこの「違い」を認識し、対外的に価値観発信する必要が
あるように思われてなりません。
Posted on 4月 29th, 2015 by 三木 奎吾
Filed under: 歴史探訪
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