以前、一度ほかの写真撮影の折に
この建物には出会ってはいたのですが、
確かその時には、ほぼ時間がなくて、通りすがり見学だったと思います。
今回、若干の時間があったので、一通りの見学が叶いました。
<以下、Wikipediaより>
齋理屋敷は、七代にわたって繁栄した豪商である齋藤家の屋敷を
改装した博物館で、
齋藤家の歴代当主が齋藤 理助(さいとう りすけ)を名乗ったことから
「齋理」と呼ばれている。
6535平方メートルの敷地内には、往時の居宅1棟と蔵6棟、
石造りの浴室1棟に加えて、宮城県丸森町が新築した建物2棟の
合計10棟が立ち並んでいる。
県道45号線に面した店蔵は、1848年(嘉永元年)に建てられた
屋敷内で最古の建物となっている。
2011年1月、12の建造物が国の登録有形文化財に登録された。
略史
「齋理」が事業を始めたのは江戸時代後期の1804年(文化元年)、
丸森の洪水対策として行われた市街地の移転事業である町場替えと同時で、
呉服太物商を皮切りに養蚕へと事業を広め、生糸の相場で財を成した。
明治以後は味噌・醤油の醸造販売や金融業を展開して、
また縫製工場や発電所を建設している。
第二次世界大戦後、地主制の解体を目的とした農地改革により土地を失い
新たな事業の開拓にも失敗したため、146年間続いた歴史の幕を
1950年(昭和25年)に下ろす。
1986年、齋藤家七代目当主から蔵や屋敷、収蔵品の寄贈を受けた丸森町は、
2年をかけて寄贈品の調査を実施、建物の改装を行って、
1988年7月に蔵の郷土館齋理屋敷を開館した。
という写真のような空間があって、
歴史の積み重なりと近代的造形感覚が美しく調和した建築だと思います。
完全な「復元」というよりも、たぶん40年間放置されていて
傷みが激しかった部分も多かったのではないかと想像します。
原型を超えて美しいたたずまいが再生されているように感じますね。
設計に当たった針生さんのHPでも、
「さまざまな専門家とチームを構成し、建物群の実測と
おびただしい調度品の調査を開始した」と記されていますが
そういう作業から、昔人の精神性を再構築していくのだろうと推測します。
「設計は運動論としてとらえるべきであることが理解できたのは
大きな収穫と言える」
と結語されていましたが、まさにまざまざと伝わってきます。
本日は、ほぼ建築写真集的に構成してみました。
Posted on 11月 25th, 2014 by 三木 奎吾
Filed under: 古民家シリーズ
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