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円空さんはなぜ愛されるのか

美術界とかはまったく門外漢なのですが、
彫刻って、なかなか食べていくのは大変な芸術領域だと聞きます。
高校生時代からの友人で彫刻を志していたのがいて、
しかし、なかなかそれでは職業にはならないという話を聞く。
やっぱり絵がいちばん「売れそう」だし、わかりやすい。
最近見た「芸術」領域では、現代は「デザイン」がいちばん食べていけるジャンル。
田中一光さんの展覧会などを見ていてそう感じました。

一方で、日本の歴史には円空さんや木食さんという
庶民にひたすら愛されたような彫刻家も存在する。
宗教的な偶像というのが、彫刻の最大のスポンサージャンルだったことは
明白で、かれらも,名もない小さな寺院などから
きっとほんの小額の代金を支給されながら、創作活動を続けていたのでしょう。
円空さんが資産家だったというお話しは聞いたことがない。
一度ブログで書いたことがあるけれど、
円空さんのことを江戸期の出版物が「日本畸人伝」というようなかたちで
紹介している挿絵を見たことがあります。
そこではごく小額の「お布施」を渡した村の有力者に頼まれて
「御神木」に向かって、生木として立っている樹木に
のみを振るい、造形作業に立ち向かっている円空さんの姿があった。
その様子がなんともユーモラスだし、
一方、村人たちの祈りの気持ちも圧倒的に伝わってきた。
日本の大社寺の彫刻などの需要は、大手の芸術職人集団が市場を独占し、
こうした小さな寺院や村人たちの宗教心は、
円空さんのような存在がつくりつづけてきたのでしょう。
けっしてビジネス的には儲からなかっただろうけれど、
しかし、いまに至ってみれば、
権威集団の仕事とはまったく別に、円空さんの仕事は
日本人のある深遠な思いを端的に顕したものとして
永く日本人のこころを独占している。
円空さんの仕事は、北海道にまで及んでいて、
ふとなにげない場所で円空作品に出会ったりする。
生涯12万体の仏像制作したと本人が言っていたそうですから、
相当たくさんの眠っている円空仏があるのでしょうね。
その仏像たちの表情の単純さ、素朴さはストレートにわかりやすい。
まとまった円空仏の宝庫とされる飛騨地方に残されたものの
展覧会が東京上野の国立博物館で拝見してきました。
やっぱり楽しい。大好きであります,円空さん。

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