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巨大な隣人たち

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やっぱり横浜といえば、ここに来てしまいますね、中華街。
写真は東側に面した位置にある門です。
日本と中国との関係って、本当に長い歴史を背負ってきている関係です。
大航海時代によって、ヨーロッパ世界が世界進出を果たすまでは、
日本にとっての「国際関係」といえば、
ようするに中国との関係が主要なテーマだったことでしょう。
中国という大きな光源の強弱によって、
日本のスタンスは変遷を遂げてきたといえます。
中国に巨大な中央集権国家が成立したことで、
その影響があって、日本にも「国家」が成立したのは疑いがありません。
文字の導入・律令の体制であるとか、仏教による「鎮護国家」など
関わり合いは、かなり直接的です。
第一、「日本」という国号自体、中国との地理的位置関係に由来するそうです。
古来、この列島社会の東端の文化地域と認識されていた
津軽・十三湊を中心とする地域の支配者に対して、
「日本将軍」という呼称が当てられていたように、
中国文明地域に対して、日の本、東側の果てに存在する、という意味なんですね。
日本が朝貢的に国家関係を行った遣唐使のころに
この国号を定めたようです。
そのこと自体も、やはり中国との関係性のなかで生起した。
中国という国家の基本理念は「中華思想」。
皮肉なことに、その基本理念を奉じて国家を作ると、
自分自身も「中華思想」を持たねばならなくなるのですね。
自らが「中華」であって、蛮国はへりくだるべきだ、という。
渤海とのやりとりなどに、そういう関係性が見られるそうです。
古代の外交関係で、東アジア世界ではこのことが難しい関係性をもたらす。
外交関係としては、結局は中国を宗主国として、
自らはその弟分のようになる朝鮮のような方向しかなかったのでしょう。
日本はそういう方向を明確には取らなかったので、
やや距離を置いた外交関係だったと言えると思います。
どうも、中国との関係というと、
こんな歴史的概観が先になってしまいます。それだけ付き合いが長いのに、
同じ文字を使っていながら、英語のようには会話が出来ないという日本の教育環境が、
相手をもっと理解しようという気持ちを起こさせないのかも知れません。
中国の人たちと会話しようとするときに
とっさに英語を選択してしまうというのは、
どうも、同じアジア人同士で、しかも歴史的にも付き合いが長いのに、
どうも、違和感を持たざるを得ないですね。情けないな、と。
みなさん、どう感じられるでしょうかね。
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