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漁撈の歴史

最近、縄文時代の歴史に興味が湧いてきました。
もちろん、文字を持たない文化ですから、
そういった文献記録はもちろんない。
石器の時代を経て、日本列島で縄文時代が始まるのが約10000年前。
どうも最近、東日本大震災の影響からか、
こういう年代スパンが案外身近に感じられるようになってきた。
たかだか数百年の単位で考えていてもダメだという
そういった年スパンが日常化してきたと言うことでしょうか?
地震や津波のことを考えていけば当然そうなるし、
また原発事故での年スパンも、これは炭素年代的な話になってくるので
もっと大きい時間軸で考えるように必然性が働いているのでしょう。

で、わたしの好きな研究者・網野善彦さんの本を読んでいますが、
「漁撈」という、わたしたち民族にとって血肉化した営為、
民族的食文化の基本と言えるものも、縄文初期から始められた、
という記述に、不覚にも大衝撃を受けてしまった。
その前の石器の時代でもなんでも人間社会にとって、
食べ物獲得方法というのが文化を動かす基本的起動力なのでしょうが、
陸上の動物の捕獲が基本であった食生活に
サカナを捕獲するという文化が新たに獲得されたのだ、という
そういったことに単純に打ちのめされたのです。
それがたかだか(!)10000年というような、人類史から見たら
ほぼ「瞬間的」な事態だと言うことなのです。
で、一方でわたし自身の命というのはすでに60年経っている。
いや、この60年という時間は、
こうした時間尺で見ても、けっこうな大きな変化がもたらされてもいる。
テレビやインターネットというものも、
いわゆる「情報端末文化」というようなものも、
こんな「漁撈」にも似たような人類的大変化と比定さるべきことなのか、
まぁいろいろな想念が沸き起こってきます。
さらにまた、日本列島社会の「縄文時代」というのは
狩猟採集が基本的食料生産手段であった人類的な視点でみても
きわめて「先進的」な地域であったことも疑いがない。
「漁撈」という言葉をWikipediaで調べると

アメリカの人類学者ウォッシュバーン、およびランカスターによれば、後期旧石器時代の終わりごろと中石器時代を含む時期になってはじめて、人類は水に対する生理的・心理的な恐怖を克服し、河川や海の資源を利用し始めるようになった[1]。
日本における漁撈活動の始まりを確定することは困難ではあるが、すでに縄文人は、素手で魚を捕らえたり(素捕り・潜り漁)、遠浅の海岸を徒行で、あるいは丸木舟に乗って沖へ出かけ、銛・鉤などの突具など用いて、多種にわたる魚類や貝類などを捕獲していたと考えられる。
このように捕獲された魚介類を人間が食用にしていたという痕跡が貝塚に垣間みられる。動物を狩猟することや、堅果(木の実)や根菜、きのこなどを採集する一方で、魚類や貝類を捕獲することもまた、農耕が開始される以前の日本人の食生活の重要な一部であったと考えられる。

というように記述されている。
網を使っての漁撈痕跡は縄文初期から見られるという。
わたしたちの脳に記憶痕跡になっているサカナの味わいというもの、
そういったものも、歴史的に獲得されてきたものであるという
そういう事実に深く驚きを感じてしまった次第です。

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