休み中に読んでいた古代史の本の感想です。
関裕二さんという、やや傾きのある方の
「古代史はどうして謎めくのか」という新人物文庫の1冊。
日本書紀や古事記をタテ横ナナメ(どちらかというとナナメが多い)に
読み込んで、あれこれ古代の王権について
推論を巡らせている本であります。
それぞれが、多少飛躍した結論を暗示しながら
それへの分析や、肉付けはされていないので、
そのたびに放り出されるような感覚を抱きます。
っていうことなんですが、読書感想。
最近、男性皇族の数が少なくなってきて、
国の行事などへの皇族としての出席というセレモニーが難しくなってきている。
そこで、皇位継承のこともあるけれど、
女性皇族の宮家設立を図っていきたい、ということだそうであります。
皇室への定めは、明治維新の時に、それまでの非統治の現実を暗黙の了解にしながら
形式的に天皇を欧米の王権と同様の独裁的王権として据えた。
それが、統帥権問題を引き起こして軍部の暴走を許した。
その反省に立ったハズの戦後の皇室典範ではあるけれど、
皇統の男子、というように天皇の即位資格を規定している。
しかし、歴史を見れば、それが「伝統」であるということはまったくない。
古代においては女帝がむしろ普通ではないかと思えるほどに多い。
「非統治の暗黙の了解」と書いたけれど、
歴史的に皇帝的にふるまった天皇権力というのはむしろきわめて少なく、
日本においては天皇は、むしろ神官、あるいは巫女的な
呪術的要素の方が、その本質に近いように思われる。
そういった存在は、剥き出しの権力機構と言うよりも
「祟り」への怖れこそが、それへの帰依の基本だったのではないかと思える。
そういう意味では、女性王権の方がその印象により近い存在。
やはり卑弥呼や台与は、日本の王権のありようを明瞭に示しているのか。
世界的に見て、こういう性質を持った王権というのは
さて、どうなんでしょうか?あるのかなぁ?
不勉強なので、あんまりわからないのですが、
たとえば中国における専制王権のありようとは、ずいぶん、風景が違う。
女性宮家の問題にも繋がってくる部分ではあると思うのですが、
現代世界で象徴天皇制が存続を目指すのであれば、
そもそも、日本的王権のありようの国民的論議も不可欠でしょうね。
その文脈のなかで、女性王権についても
見つめ直してみる必要があるのかも知れませんね。
Posted on 1月 5th, 2012 by replanmin
Filed under: 歴史探訪