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半外部空間への感受性

しばらくは、ひたすら現在の戸建て住宅のことに
没頭し続けていました。
ようするに仕事なので、当たり前なのですが、
一方で、自分自身の興味としては
この写真のような、現代に残っている日本的長期優良住宅
古民家として残る農家住宅のことがノスタルジーとともに
大きな領域を占めている。
こういう大型の農家住宅自体、
その成立において、江戸期の貨幣経済の農村への浸透、
すなわち、米以外の商品作物生産への対応、
具体的には養蚕施設を確保する必要性の結果なのだという
側面はあるのですが、同時に
失われつつある、日本人のある精神性にとってのかけがえのない部分を
象徴しているように思うのです。

いちばん大きいのが、
半外部空間への感受性、というようなもの。
現代の住宅を取材したり、研究したりするときに
それはほぼひたすら、室内環境のことであると思います。
良くて、外観というような印象という部分はあるけれど、
それもいわば、オブジェとしての印象論が主体であって、
家の中と外とのあいまいで、けれど、
毎日の暮らしの中ではかなり決定的な部分について
考えを及ぼすと言うことがあまりにも少ないのではないか。
たとえば、新築に当たって
家の前に一本の木を植えるとすると、
その樹種の選択に始まって、その生育のこと、
日頃のメンテナンスのこと、そこから知る自然のうつろいのこと、
歳月の流れなどなど、
たぶん、そこで暮らす人間にとって、
もっとも象徴的で、精神性においては決定的な部分への
論議がないと思う。
子供が生まれ、その子の成長を願って木を植えるとすれば、
その木こそが、家、というもののきわめて重要な構成要素になる。
そのような住宅論というか、
ひとの暮らしの中での「癒やし」「自然対話要素」というもの、
それをもう少し、家づくりの重要要素として
捉え直していく必要があるのではないか。
そんな思いが、胸の中にずっと沈殿しております。

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