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権力構造の弛緩

久しぶりに興奮して状況を見ていました。
松本何とかという「復興大臣」の一連の騒ぎ。
震災からの復興って、いまの菅直人政権の金科玉条の
それしか、存在理由のない、唯一のことだったはず。
この時点で、政争などをやっていてはいけない、
復興のために、政治は混乱してはいけない、という最大の政権維持論拠。

だったはずなので、
このもと大臣の発言内容をインターネットの動画で見たときには
驚きとあきれを通り越して、
ただただ、この権力の、ただしがみつきたいだけという
本質をまざまざと見せつけられた思いがしました。
まぁ、こんなものなのかもしれないという諦念はあるにせよ、
しかし、傲慢さは許し難いものがあった。
こういう人間が、こういう考え方で
基本方針をいまに至るも示すことが出来ずに
「復興」という錦の御旗を振り続けてきていたのだと考えると
無念な思いがこみ上げてくる。
失われた復興のための時間、あれからもう4ヶ月になろうとしているけれど、
関東大震災の時だって、
もっと迅速に、復興に向けた政治体制はできていた。
いまのこの事態は、いったいなんなのか?
社会全体に、弛緩した無気力な空気が充満している。
誰がどう考えたって、本気で復興を進めようとすれば
いま、一番大切なことは、政治にダイナミックな意志決定が必要。
そのためには、衆参のねじれ構造があって、
大きな意志決定が出来ないことが最大の「政治空白」。
そういう政治空白を生み出しているのは、
いまの政治権力者の「権力へのしがみつき」だと思う。
辞める、辞めるけど、これだけはやらせろ。
でも、できれば、それを最大限に時間を引っ張りたい。
そしてその最大の根拠が、この「復興」であるという矛盾。
こういう状態で、日本の大きな意志決定など、できるとは思えない。

きのう、就任から9日とかで、
発言の主はあっという間に逃げていったワケだけれど、
任命権者は、相も変わらず、居座り続けたいようだ。
どうなっていくのだろうか?

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