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日本人と土地_2

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昨日の続きです。っていうか、お盆も近づいてきたので
歴史系のお話にしばらくこだわってみようかなと。
写真は、松本城資料館で撮影した「検地」の絵柄です。
記録性を重視した、一種の報道写真のような、迫ってくる迫力を感じます。
秀吉という中央権力段階になって、はじめて取り組めた検地。
それまでの権力も、具体的に全国でどれくらいの田んぼがあるか
調査したいと、念願しただろうと思うのです。なんといっても、
日本人にとって、コメ生産はそのまま経済行為そのものだったのですから。
保存可能で、逆に言えば「略奪」可能な
基本的な流通資産はコメであり、それを生み出すのは
田んぼしかあり得ないわけですから、強くこだわっただろうと思います。
しかしそれを完遂できるだけの、強い武力行使を伴った権力基盤がなかった。
信長や秀吉という、大量殺戮戦を経た中央権力の恫喝によって
はじめて、地方権力の側も渋々、協力したのでしょう。
この検地の結果で、はじめて具体的な領土の升目が定まったのですね。
どこが何万石、とかという土地の価値が定められたわけ。
そういう意味では、いまに至る「土地本位制」の基本がこうしたかたちで
スタートしたとも言えるのでしょう。
でも、検地が終わったあと、各地方権力は必死で
「新田開発」に没頭したことでしょうね。
江戸初期の検地と、末期の実高で、長州などは3倍も開きがあったと
司馬遼太郎さんの文章にも記述がありました。
経済基盤の拡充に、とくに外様の諸藩は必死だっただろうと思います。
中央権力に捕捉されない経済力を持ちたい、というわけです。
なにやら、税金逃れや隠し資産のようで、現代と同じかなぁ。(笑)
現代でも、財務省はいろいろに理由を設けては
増税を計りたいものだし、搾り取られる側は、必死で盲点を探る(笑)
結局、人間の営みには、大きな変わりはなくて
ただ、かたちがそれぞれの時代で変化すると言うことなのでしょうね。
そんな妄想がムクムクとわき上がってくる、検地の絵でした。
究極的には、やっぱ消費税は、すごいですよね。
税率のアップは既定路線なんだろうなぁ・・・やれやれ。

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