新型コロナ禍で生活している地域から他地域への移動行動がしにくい。
一時的な移動は別にして、広域への「取材紀行」が難しくなっている。
わたしの場合、仕事で各地域を訪れそこで地域を深く知るために
その地域の「古民家」を取材行脚するのが、ライフワークになっていた。
それがすっかりこの半年以上、叶わなくなってしまっていることに気付く。
写真を整理整頓する習慣があったことも半ば忘却していて
2019年度途中で中断し、更新されていない。・・・。
新型コロナがまた猖獗し始めたことで、再びそういう機会は遠のいてしまった。
たまたまご先祖探索を継続している兄と久しぶりに話し
この写真の兵庫県福崎町の「三木家住宅」のことに話が及んだ。
この古民家はわたしの直系家系と400年ほど前に枝分かれした家系が
江戸期を通して住み継いできた「大庄屋住宅」。
福崎町では「兵庫県指定文化財」として保護されてきていて、
3年ほど前に「復元工事」が完成を見ていた。
その様子、写真は細部まで撮影していて記憶はすぐに再生できる住宅。
いろいろな「縁」を感じて、もう7−8回は訪問し続けている。
で、町の教育委員会がこの古民家の復元に先だって1999年に
「三木家住宅総合調査報告書」「文献民具目録」を上梓してくれていた。
この記録も日々の忙しさにかまけて、入手してから3年以上経つのに
目にすることがなかったのが、兄との久しぶりの会話機会で思い出し、
目を通し始めてみた。・・・その丹念な調査活動ぶりに驚かされ、
遠縁のひとびとの生きた「肉声」のようなものまでが胸に響き渡ってきた。
なんと、わが家家系の文書にも同名の人物が書かれていることも発見・・・。
記録に残る生存年代もほぼ同じであり、周辺的な事跡まで符合している。
本格的に調べないとイケない。ヤバい。深みにドンドンはまる。
播州と尾道周辺という、距離にして150km超の遠隔地ですが、
しかし瀬戸内海運というのは、想像以上に活発な交流圏でもあった。
同族血縁という関係性は、想像以上に強い紐帯で繋がっていたとも思える。
わたしの父親、大正から昭和を生きた世代ですら、
遠隔地の「地縁者」でも生きるための「縁」として大きなファクターだった。
どちらかといえば、商業者と思われる生き方をしてきた家系にとって
その地縁をさらに越える「同族」連帯意識は、きわめて大きかったと推測できる。
さらにことし、息子はある全国企業に入社して、なんと先祖と縁の深い
姫路市英賀保のすぐそばに住み始めている(笑)。
どうも、縁は時間をはるかに超越して巡ってくるのかも知れない。
DNA的な不思議さに驚かされているのですが、それにつけても、
新型コロナの社会「分断力」のすさまじさに深く無念を感じてなりません。・・・
Posted on 7月 12th, 2020 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング, 日本社会・文化研究
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