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【生命「群」としての国家 in 新型コロナ禍】

生命は地球に誕生して以降、さまざまな進化を遂げて現状があるけれど、
10億年前に「雌雄」という分化が起こり、
DNAが継承されていくシステムができあがり、
約5億年前に「群生」という生存形態を獲得したとされていた。
中部大学総合工学研究所特任教授の武田邦彦さんのWEBメディアでの講演。
写真のようなイワシの群生を題材にして、テーマを語っていた。
生命というのは、DNAが継承されることで「永続」が可能になり、
その後、群生ということが起こってさらに集団生存という概念が生まれたとされる。
そこからつい最近、大脳皮質が発展することで「個」という意識が芽生えたとも。
群生という生命進化段階、その特徴的生態のイワシの行動について
集団として、ある目的的な行動を一糸乱れずに行う不思議さを知らされた。
もちろんイワシ1匹1匹は生命の基本単位ではあるけれど、
この「集団行動」での行動選択の「意識」はどうなっているのか?
かれらにおいては、このような群生では個意識を超えた集団意識が支配的になり、
群の反対側にある個体の知覚が逆の側でも「感覚」されるのだそうです。
で、こういった集団意識において個体は「自分という死は怖れない」と。
それよりも群社会としての永続を選択するのだと。

こういう生命の不思議さがはるかに人類にも経験知蓄積されている。
よく日本人はイワシ型民族、みたいに言われることがある。
個人主義、拡散的分化よりも同調的意識が優先する社会というように。
今回のコロナウィルス禍は、こうした国家民族のバリエーションを表出させている。
グローバリズムの進展とは言ってもそれは資本の自由な拡張に過ぎず、
資本主義の自然的展開・鉄則が貫徹して行っただけであり
個別の「群」生命体としての人類は現状で「国家」という強固なカタチを選択している。
人類社会はそれぞれ固有の「生活文化」集団である国単位で生存している。
コロナウィルス禍はその実相を赤裸々にさらけ出しつつある。
集団に同調することは生命現象にとってけっして悪いことではなく
むしろ群社会が脅威に対して強く生き延びていく基本的な知恵・戦略でもある。
ただイワシが群としての姿を変えるのに、その集団意思決定に於いて
「よりよい選択」かどうかという論議は欠かせない。
それは煽り立てたりすることではなく、冷静に方法論を検討すること。

いま、感染症についての「専門家会議」からのアナウンスが発出されている。
それは行政機構のひとつである厚労省が管掌する専門家会議だけれど、
これまで世界各国で感染爆発が報告されているなかでは、
日本の専門家のみなさんの議論と対策提言はある程度成功しつつあると思える。
まずは重篤者を看取れる態勢をしっかり確保しながら、
集団感染のリスクを個々の構成員が明瞭に認識して、危険回避的に対応すること。
それが経済社会を破綻させることなく危機を克服する最良の道だと思います。
危機を克服できたら、それぞれサケになってもいいし、サメになってもいい。
いまは「かしこいイワシ社会」であるべきだろうと思います。

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