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雲の記憶

わたしは、記憶が残っている範囲でいえば
3才から住んでいるので、成長期の記憶はこの地でのもの。
なので、ほとんど札幌っこ、といってよく、
自然の記憶も、原風景的にはまったくそのようであると思っています。
雲の記憶、っていうような言い方って
そんなのがあるかどうか、わかりませんが、
折に触れて、季節感や自然への感じ方の部分で
あ、と思えるような瞬間では、そういう記憶がよみがえるようです。

なんか、わかりにくい書き方で申し訳ありません(笑)。
こんなことを気にするようになったのは、
大学生の頃に、東京で生まれ育った人たちと知り合うようになって、
「わたし、地平線を見たことがない」
みたいな会話があって、信じられずに問い返した経験があるんですね。
自然への対し方で、こういった経験の差って大きいなぁと思ったのです。
たぶん、単位面積あたりの建築物の数が、
首都圏地域では圧倒的に多くて、
自然を感受するにも、そういう人工物が必ず介在するのだ、
というような新鮮な驚きを感じたのですね。
でも、その後、関東での暮らしも経験すれば、
確かに、人工物は多いけれど、
いかにも、「板東太郎」的な雄大な雲の流れもあるし、
天地の大きさを感じる自然の景観も数多く体験もしました。

まぁ、そんな体験って、
きっと多くの人が感受していることだろうと思います。
で、わたしの場合、札幌にいて、
どっちかというと、北側の空を見続けてきた経験が多い。
札幌は、南が大きな山塊に区切られていて、
むしろ北側に向かって視界に広がりがある街。
北側には、石狩川の流れがあって、
その石狩川に沿って、雲が異形な姿で盛り上がる、
というような光景を繰り返し見続けている気がします。
写真は、けさの、わが家から見た北方の景色。
低い位置にさまざまなかたちの雲が発生している。
嵐のときには、この形成される雲がまるで地をはう、恐竜のようで
子ども心に、畏怖とも憧れともつかない、
印象を持ち続けていたように思います。

雲は、その地域の地形や、
季節風の方向などの条件から、ある程度決定される部分があるでしょうから、
こういったわたしの印象にも
何らかの根拠はあるのだろうと思っています。
小学校で、なんとか雲っていうのは習った記憶がありますが、
地をはうような雲と、上空のうろこ状の雲、
なかなかにドラマチックだなぁと思えます。
考えてみると、こういうふうに
小さいときからの記憶に残っている自然感覚につつまれて暮らせる、
っていうのは、しあわせなことなのかも知れません。
本日は、まことにとりとめのない、
それこそ、雲をつかむようなテーマで申し訳ありませんでした(笑)。

北のくらしデザインセンター
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