写真は先日参詣した中尊寺の「本堂」であります。
慈覚大師円仁さんの開闢と伝えられる天台宗の由緒正しき寺院。
奥州藤原氏がその財力を傾けて、
北方に日本とはやや異質な地域権力を樹立したことを
明示的に示す意図を持って創建されたものでしょう。
金色堂や能楽堂などの建築群が往時を偲ばせる遺構になっている。
しかし、その創建の経緯とは別に現代に至るまで有為転変の中を
なんとか伽藍を維持し、生き延びてきている。
清衡の創建から100年ほどで奥州藤原氏は頼朝権力に滅亡させられ、
この中尊寺の山裾から北上川の流れの蛇行したあたりに広がる
扇状地系地域に藤原氏の王権所在地はあったと推定されている。
いくつかの居館推定地が発見されているけれど、
いずれにせよ、「衣関」地域という地域名が示すように
北上川水上交通の要衝地に位置して、藤原氏の経済活動、交易の
中心にあったであろうことは明白だと思います。
そういった政治と経済の中心施設、機能は頼朝関東軍の津波のような侵攻で
すべてが灰燼に帰してしまった。
歴史書などを読むと、こういった権力の推移に合わせて
宗教施設側は敏速に対応して、頼朝からの保護をいちはやく受けている。
宗教が一応は政治権力とは別の「局外中立」的な扱いを受けることが
こういった歴史事実から浮かび上がってきます。
しかし、中尊寺はその繁栄の基盤であった経済機構・平泉が失われたので、
その後、財政的には苦難の道のりを歩んだであろうコトは想像するに難くない。
奈良京都や江戸東京といった政治経済中心地とは隔絶した地域であり、
また奥州の経済を支えたであろう「産金」も
どれくらい維持し続けていたのかも心許ないし、
第一、藤原氏だからこの平泉の地政学的な位置取りに意味があっただろうけれど、
その後の鎌倉幕府政権期以降には、事情は変化しただろうと。
いつも平泉を見ているとそんな思いにかられる。
で、ふと発見したのがこの「白象」さんであります。
まぁ直感的に、仏陀さんを乗せてなにかの宗教行事に使われるだろうことは
容易に想像がつくけれど、なんか重量感に欠ける(笑)。
ちょっと調べたら4月11日にイベントがあり、その主役なのだそうです。
〜花まつり子供大会のお知らせ
お釈迦さまを乗せた白い象さんが中尊寺を出発し、中尊寺通りを行進します。
甘茶をかけて、お釈迦さまの誕生日をお祝いしましょう。
午後の子供大会では劇やゲーム大会、ロールケーキ作りなど楽しい行事が満載です。
どなたでも参加できますのでお気軽におこしください。
日時 4月11日(日) 12:30開場
ところ 平泉文化遺産センター (平泉町平泉字花立44)
象さんの行進 9:00中尊寺出発→9:45高館義経堂下→10:50平泉駅前
お問い合せ 中尊寺花まつり係 0191-46-2211〜
というおまつりのメインキャラがこの「白象」さんなのですね。
地域としての平泉は現代では仙台とか盛岡、北上といった
地方中心都市とも違って、都市の基盤があるワケではない。
伽藍堂宇を維持して行くには、いろいろな「仕掛け」で働きかけていくしかない。
そんなことに気付いたら、下の写真のように本堂の入り口縁側天井にも
さまざまな「広告」的張り札も目に付いた次第。
現代での経済条件として、東北の大動脈・東北道のICからはほど近い。
現代なりの「門前町」としての経済的存続を考えていくことになるのでしょうね。
この白象さんにエールを送りたいな、と思えてきた次第(笑)。
Posted on 4月 3rd, 2019 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング, 歴史探訪
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