令和という名詞は、ちょっと発音しにくいということを
最初にメディア発表対応をした官房長官の口から再認識した。
RとLについての日本人の発音問題は常に言われていますが、
わたしには「○いわ」というように聞こえて
一瞬、え、「へいわ」なの? と思った。
それって、あまりにも一般語化しすぎと疑問が・・・。
ちょうどNHKをかけていたので、菅さんがかざした漢字揮毫も
手話画面に被さってしまっていたので
すぐには見られず、一瞬、タイムラグが生じてしまった(笑)。
で「令和」であります。
おお、れいわ、れいわとアタマのなかで復唱させてみる。
たしか、前回の「平成」のときにも官房長官だった小渕さんが示して
ゆっくりとした滑舌で「へいせい、であります」と語った様子を思い出す。
政治家としての菅義偉さんは、この元号発表という奇貨を活かして
内心、あわよくば、という気持ちもあるだろうと察しますが(笑)
そのかれの心象からも、ここはストンと落としたかったところでしょうね。
まぁ、しょがない、滑舌むずかしいコトバです。
元号という、日本語文化圏では特殊なコトバになるものなので、
これは慣れていくしかない。
一瞬、聞き取れなかった、ということが長く伝わっていくのかもしれません。
「おお、おれもさぁ、あのときすっと来なかったよ」
みたいな会話が日本人のアイデンティティに刷り込まれるのではないか。
今回の改元を通して、英語で「era」とか「period」とかと訳される
そういう暦の独自文化というのを日本「だけ」が持っている、
いわば日本人のアイデンティティとしての側面に気付かされますね。
平成の時には、同時進行で昭和天皇の死去があったので、
元号についていろいろに思いを致すという時間が持ちにくかった。
それが今回、このようにきれいに別の事柄として認識が深まった。
同じ漢字文化の共有意識が強い中国では一種独特の
思いがあるようで、かなり注目度が高かったと報道される。
神聖権力構造が時間をも支配する元号観念が消えた、かの国にして見たら
複雑な思いを持ち続けているに違いない。
そういえば中国共産党の次代指導者は、天皇と会見することが
慣例的通過儀礼だということも知られている。
習近平が就任する前に、小沢一郎が半ば強引に会見させたと
一時期、日本政界で問題になったこともあった。
この通過儀礼の真意はなにか、中国文化社会のある側面を示しているのでしょう。
今回はじめて中国古典からではなく万葉集からの由来とされて、
中国国内からは「いや、やはり中国古典からだ」という声も出ているという。
是非はともあれ、そういう「気分」が存在することは伝わってくる。
そういう意味では文化というもののパワーを強く感じさせられる。
西暦のほうが時間換算がほぼいらないのでカンタンだけれど、
英語で「period」という語感どおり、
いかにもファンタジックな時間区画概念を文化として持っていることは、
やはり誇らしいことに違いないだろうと思います。
Posted on 4月 2nd, 2019 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究
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