今回の青森県東部地区出張の機会に
なかなか行けなかった下北・むつにまで脚を伸ばせました。
訪問した菊池組さんは、最近はエコハウスアビルダーとして受賞され
高断熱高気密ビルダーとして評価が高まっていますが、
一方で、社寺建築などの伝統的建築業の側面も持っています。
はじめて会社を訪問させていただいたら、社屋の壁面には
青森県下北地域、さらに南部地域での社寺建築事例が
たくさん額掲されていました。
下北は、南部藩領だったけれど寒冷気候のために江戸期を通じても
開発が遅れていたところに明治維新戦争の結果、
会津藩が入植したという経緯を持っている地域。
そういう意味では北海道の歴史とそう違いがないのではと思っていました。
高断熱高気密、デザイン性も優れた住宅建築で地域でも高い評価を得る
若い菊池洋壽常務。ちなみに同社の最近の受賞は以下のようです。
◎第2回・日本エコハウス大賞「温熱性能部門賞」
◎第3回・日本エコハウス大賞「新築部門奨励賞」
◎エコハウスアワード2018では「優秀賞」
という素晴らしい受賞歴なので、その口から
「ウチの創業は安政年間(1850年代) 創業者:菊池勘三郎といいます 」
みたいな言葉がごく自然に出てくるのが、まさに意表を突かれる。
その落差感がハンパなく、ツボでもあるので刺激を強く受けていたところ、
写真のような古建築図面や「設計書」など、
同社が厳重に保管している「古文書」的図書を見せていただけました。
「少なくとも150年は確実に遡れるのですが・・・」
と何事でもないかのように話される。
なんでも創業の勘三郎さんが社寺建築を修行されて
以来、そういう建築ばかりではなく一般住宅も手掛けながら、
営業を継続してきているということでした。
江戸期の建築で社寺建築はいわば公共建築、公共工事でしょう。
この文書の表題も「村社・八幡宮本殿建築工事設計書」とある。
帰路、隣接の横浜町に「八幡社」があって、引き込まれて撮影した(笑)。
「宮大工」専門というのは、奈良京都などの一部でありえた業態で
全国の建築事業者は、おおむねこの菊池組さんのように、
どのような建築需要にも対応していたのだろうと思います。
文書は大正期の社寺建築の請負書のようで、
「水盛・遣り方、砂利整地」などの今日と同様の建築表現が書かれている。
その建築コストも詳細に書かれていて、「見積もり」状況もわかる。
しかし今日の文書とは違って、おおむね漢字のみでの表記。
長く日本では、公文書では漢字だけが使われてきた伝統がある。
そのことが、明治大正期でもこの地域では表現として遺されていたようです。
図面では濃い実線で建築図がしっかりと引かれ、
その説明文は薄墨、もしくは鉛筆表記で丁寧に書かれている。
文書、図面とも公的記録としてしっかり保存しようという強い意志を感じる。
こういった歴史時間がこのむつでは、ごく自然に継続している。
北海道とは目と鼻の先ではありますが、
やはり時間の意識がまったく違うと、思わぬタイムスリップを感じさせられた。
わたし、どうもこういうのに弱い(笑)。
こういう記録文書をしっかり味読したいという欲求がふつふつとしてきて
まことに困ったものだと思っております・・・。
Posted on 5月 31st, 2018 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング, 歴史探訪
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