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鏡のような縁側空間

日本人は大体、高校生頃に
「修学旅行」という機会に、京都とか奈良とかの
日本の伝統的建築を見て回る体験をさせられることになっています。
フランスでは農家住宅での住体験を教育の一環として
行っていると聞くことがあります。
で、その場合には、空間体験の原点としての住宅への感受性教育
っていうようにとらえて、すごいなぁと思っていたのです。
その現実がどんなものなのか、調べたことはないのです。
ところが、考えてみると、わたしたちのこうした「修学旅行」体験も
それがどこまで計画的であるのかどうかは別にして
やはり、日本的空間性という情操教育ではあると思います。
日本人的なるものについて、
情操教育として意義があるものなのでしょうね。

とくに北海道で生まれ育った人間に対しては
日本の教育は、こういう感受性が本来の日本人の持つべきものなのだと、
そういうように教えようと考えているのでしょう。
世界に開かれていく日本人として、
その民族の情操としての基本素養を涵養するという意味では
まぁ、おおむね了解できることなのだなぁと思いますね。
というか、その割りに、もうすこしその部分を強調して
教育していってもいいのではないかと思われます。
ただし、日本の建築教育はこと構造については
このような写真の空間性とは無縁に耐震性向上を追求し、
そういう構造力学的には、RC構造に基本的な考え方を置いていると
考えられます。
一方で、こういった写真のような空間性について
日本的なるものとしての刷り込みは行っている。
まぁ、教育といっても幅が広いわけで、
学際的な部分では矛盾も出てくるのはやむを得ないでしょうか。

床レベルがやや高めに設定されていて
大きな軒の出が、視界上端をしっかりと区切っている。
紙で明かり取り機能を果たさせる格子の建具が
最低限の内と外との結界を仕切る装置として機能する。
庭木は、季節変化の明瞭な空間として自然を生け捕っている。
で、足の裏には植物性の繊維加工物・畳がいろいろな蝕感を伝える。
そういう空間性の中にあって
縁側の鏡面仕上げというのが、やはり重要な装置なのでしょう。
この画面で見ても、視界上端の明瞭な区切りに対して
実に曖昧な光のグラデーションが対比的です。
場合によっては、この鏡面にそとの緑や空が反射して
まことに濃密な自然感受装置になっているのですね。
で、こういう鏡面仕上げにするのに、毎日ぞうきん掛けを
メンテナンスとして行わせてきた生活文化を持っているのですね。
米ぬかで磨かせるとか、いろいろな工夫もあるのですね。
まぁ、北海道が一番はじめに諦めた民族的空間性として
こういった美意識があったことは事実ですね。

さてこんな空間性、
北海道でどんなふうに継承していくものなのかどうか、
わたしたちの求める空間性の中に生き続けていくかどうか、
そんな興味はずっと持ち続けています。

北のくらしデザインセンター
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