行った日は、公園スタッフ・弥生人
(って、自己紹介していた〜笑)のみなさん総出で大掃除中。
環濠のゴミとかを掬いだしては、きれいにしておりました。
で、残っていた人から弥生のお茶、麦茶らしきモノを振る舞ってもらった。
これの加熱、ごらんのように弥生式土器で、石の置き方なども吉野ヶ里式。
ごちそうになると、ほとんど無味だけれど、ほのかな滋味のかおる味わい。
吉野ヶ里では、左の写真のような居住室内部では、暖をとる以外の
煮炊きのための囲炉裏はなかったそうです。
食事の支度はもっぱら外、もしくは専用の煮炊きの建物でしていた。
飲料水は、わき水が豊富に出る場所がたくさん発見されているそうです。
食べ物は主食のコメはもちろんですが、
そのほかにも、周辺で採取可能な多様な動植物を食べていたようで
なかなか豊かな食生活なんだとか。
住むための居住区域は明確に分けられていたけれど、
内部の様子は、調度のたぐいに多少の貧富の差が見られる程度で
そう、大差はない。居住用の建物は、寄せ棟や入母屋型で茅葺きの屋根。
玄関は、板戸が使われていたようですね。
ほとんどが半地下タイプで、居住性は案外高そうです。
床はよく突き固めた土間。寝る場所は一段高くなっていてベッド状。
キッチンやトイレは外にあるわけで、
この家は現代で言えば、居間と寝室だけの空間ですから
そう考えると、広さもほどよく、快適な暮らしともいえるかも知れませんね。
Posted on 12月 29th, 2005 by replanmin
Filed under: 歴史探訪
コメントを投稿
「※誹謗中傷や、悪意のある書き込み、営利目的などのコメントを防ぐために、投稿された全てのコメントは一時的に保留されますのでご了承ください。」
You must be logged in to post a comment.