きのうから江戸、いや東京に来ております(笑)。
所用と取材があった次第ですが、
やはり東京に来ると、美術鑑賞、博物鑑賞にこころが動きます。
ということで、本日は住宅ネタは休題。
2件見たかった展示があったのですが、
時間の関係で残念ながら、この歌川国芳・国貞の浮世絵作品の展示会のみ。
もうひとつ光琳以降の琳派作品展示もあったのですが・・・。
江戸末期、開国した当時、来日したかれら外国人の目にとまった
江戸末期の爛熟文化の精華とも言えた浮世絵。
絵画収集家のかれらの鋭敏な感受性に、これらの浮世絵は
まさに宝の山のように思われたのでしょう。
版画として、大衆的に流布していた浮世絵は、
今日で言えば、ブロマイドやナマ写真の類に属していて、
本格的な美術品としてそれらが収集蒐集の対象になろうとは、
それを産み出していた画家たちも、版元も
多くの蒐集家たちもまったく想像していなかったとされています。
「あんなもの」と思っていたので、国内ではただただ消費され続けた。
散逸し、アメリカ・ボストン美術館がその価値を認めた頃には、
日本国内では、まとまった画家個人の体系的コレクションなどなくなった。
その江戸末期の日本人の心性を、
ボストン美術館の審美眼を通してしか、わたしたちはいま見ることができない。
そういう展覧会を、渋谷の東急文化村・Bunkamuraザ・ミュージアムで参観。
男伊達の国芳と、嫋やかな耽美の国貞という
対比的な江戸文化という見せ方で構成していました。
わたし的にはやはり嫋やかな美人画にどうしても目が行ってしまう(笑)。
写真のような判で押したような「瓜実〜うりざね〜顔」であります。
国貞さんは、どの美人画でも顔の輪郭はこの瓜実が
角度をつけて、これでもかこれでもかと、展開する。
ほかの浮世絵でも、日本人の女性美の美意識には基本として存在する。
見せつけられ続けていると、
だんだんとこの顔かたちに、惹かれるようになってしまいます(笑)。
日本人のDNAに固くインプットされているものでしょうか。
それと、江戸期の日本人には「恋愛」ということへの
強い思い入れが存在していたことが、あらためて蘇ってくる。
って、人間としてきわめて当たり前のことながら、
社会の建て前として自由な恋愛が抑圧され、結婚とは家の存続のための
「見合い」婚が基本だった時代に、芝居小屋や遊郭などで
役者や花魁たちに仮託して、この世では果たせぬ夢としての
恋愛劇を繰り返し夢想していた社会だったのだと
いまさらながら、非常に印象深く気付かされていました。
しかしさすがの人気で、しかも渋谷という便利の良い場所。
場内はすごい人出で、男女比で言うと女性が7割方。
ここのところ、やはり日本的なるものの発見の方が新鮮であるという
いまの日本の底流意識を強く感じさせられます。
さて本日は、住宅関連のイベント取材であります。頑張るぞっと・・・。
Posted on 5月 28th, 2016 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究
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