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【精神性と機能性 建築の2元論】

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写真は北海道の開拓期からの歴史を偲ばせるご存知、道庁・赤煉瓦庁舎。
一方その下は、現在の道庁本庁舎。
よく北海道で建築家と話していると、
このふたつの建物が対比的に語られることが多い。
赤レンガは、たぶん数百年経っても、存続すべきだと声が上がるだろうけれど、
いまの本庁舎の方は、耐用年数が経過し劣化が見えてきたら、
誰からもそういった声は上がらないだろうという見方。
折しも、サミットは日本建築の精神性を表現する
伊勢神宮内宮参拝から始まって、世界へ日本建築空間のアピールがされた。

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機能性で見たら、しかし、伊勢神宮は生身の人間ではなく
神性のために捧げられた空間であり、居住性や利用汎用性機能は無い。
また、北海道庁赤煉瓦も、象徴的機能しかいまは持ってはいない。
赤レンガは、明治の日本が明瞭に持っていた
開国、欧米へのキャッチアップ精神をいまに、クリアに伝えてくれている。
その余韻の中に、まだわたしたちの時代はあるのだと思う。
そして日本ではこうしたキャッチアップ精神が、むしろ、
王政の復古と連動して発露されてきたという歴史を持っている。
一方でわたしたちは圧倒的にRC建築の機能的有用性の世界にいる。
逆に言うと、RCによって、建築は精神性の呪縛から逃れられるようになった。
都市という人類的な生存適地環境の技術としては、
RCというものは、なんと巨大な有用性をわたしたちにもたらしてくれたのだろうか。
建築の技術が発展進化してくれたことで、
有用性の世界も、また精神性の世界も存続の根拠が与えられたのかも知れない。

いつも住宅の取材をしていて
この有用性と精神性の両方のファクターの生み出す2元論が
リフレインしてきます。
基本的には有用性・合理性が基本にあって、
そのうえで、いかに精神性をそのなかに情緒として展着できているのか、
そんな目線で建物と相対しているように思われます。
顕教的世界と、密教的世界というような表現も出来るかも。

さて本日は所用と取材で東京出張。
朝早くひと仕事片付けて、これから移動開始であります。
ではでは。

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