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公共建築と地域の暮らし

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写真は江戸深川の八幡神社です。
出張先での楽しみのひとつ、早朝散歩で出かけたのですが、
道を歩いていると、この神社のまわりを
多くのみなさんが通勤のため、通りかかっていきます。
で、境内側から眺めていると、
男女にかかわらず、また年代にかかわらず
みなさんの多くが社殿側に向かって一度立ち止まり、
会釈してから、ふたたび通勤に向かって行かれていました。
地域の暮らしのなかで、このような施設・建築が果たしている役割の大きさに
目の見張るような思いがしてきます。
江戸期まで、というか神社の類では例外的に北海道では明治初期まで
このような宗教的施設というのは
国家体制の重要な一部分でもあって、
建築されることについては、公共事業もしくはそれに準ずることだったと思います。
で、建築された公共建築の側でも、
祭りの開催とか、縁起の開示、縁起物の発明、商業施設に対する配慮など、
地域に溶け込もうとする努力を積み重ねてきたと思うのです。
仏を作って、きちんと「魂を入れる」作業を行ってきていた。
そういうものが、やがて地域のみなさん全体にとって
欠くべからざる「地域アイデンティティ」の中核に育っていった。
この八幡さんでも、熊手などの名物を考え出して
御利益の演出などで、地域経済まで考えて存続させる努力を怠らなかった。
そんなことからふだんは地域と関係なく
東京都心地域で勤務する生活を営みながらも
抜けがたく、このような地域性のマユに包まれたいという
いわば地域らしい暮らし方の断面を生んでいるのではないでしょうか?
ひるがえって、
現代では多くの公共的建築がたくさん生産されました。
しかし、その運営を見ていると、
いかにも「お役所仕事」という無駄と、不合理が蔓延しています。
江戸期までのこのような公共建築、公共事業は
これからも長く存続し続けていくことでしょうが、
戦後建てられていた公共建築って
果たして、そのような地域のみなさんの評価を受けられるものは
果たしてどれくらいあるものでしょうか?
確かに宗教と権力は分化したので、という要件はあるのですが、
それにしても、公共建築物としての存続性を担保するような
地域文化を育もうという志向性はまったく感じられないのです。
現代の公共建築、博物館や美術館は多くが午後5時とか6時とか
現代人の日常生活では考えられない、そんな時間で入場できなくしている。
そこに働いている公僕の労働時間を遵守するためだけの制限としか思われない。
こんなような姿勢で、はたして地域に長く愛されていくのか?
自明ですね。
ちなみにこのような江戸期までの地域の公共的空間は、
概ね、どんな時間に行っても、それなりの楽しみ方が考えられているし、
いわんや入場制限など、発想がなかったのではないかと思う。
基本的な運営姿勢において、江戸期までのものにまったく敵わないでしょうね。
存続のための基本的努力の仕方がまったく見られない。
こんな姿勢の公共建築は、すべて事業仕分けでなくなっても、
ユーザー側からは存続させたい気持ちは起きないでしょうね。
日本の公共というものは、その精神性の部分で、
江戸期までのものと比較して、現代はあまりにも退化してしまっていると思っています。
みなさんいかがお考えでしょうか?
北のくらしデザインセンター
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