写真は、日本画家・山口逢春さんの葉山の自邸アトリエ。
住宅建築というのは、人間の感受性のための空間を
創り出す営為という側面があります。
そういうなかで民族的に、わたしたちには「数寄屋」文化というものがある。
たぶん、このような住文化は他国には希薄。
ヒマラヤが創り出す偏西風と日本海の水蒸気が雨雪となって
この列島に降り注ぎ、かつ南北に長い国土であることから、
豊かな植生を育んでくれている風土にわたしたちは恵まれている。
四季変化が世界中でももっとも明瞭であり、
自然と人間の応答において、独自の感受性を育んできたのかも知れない。
数寄屋というのは、そういった感受性の表象なのだと思う次第。
こうした数寄屋文化を現代生活に適合させた住宅建築を
建築家・吉田五十八さんは手掛けてきた。
皇居宮殿の襖屏風絵に作品を遺す山口逢春さんとは学友関係だったとのこと。
北海道では、こういった近代数寄屋というものとは、
なかなかめぐり会うことができません。
まずは、その存在と語り合うような体験が必要だと思い、
まるで美術との出会いのように見学して来た次第です。
この画家のアトリエには、1枚ガラスの大開口が開けられている。
それは自然のうつろいを全身で感受しようとする意志の表象。
北海道では自然とのこのように穏やかな対話関係は、約半年は成立しない。
花鳥風月を愛でる感性は、北海道ではまず、
建築の進化の格闘がなければ実現し得なかった。
いま、ようやく北海道でもこんなふうな大開口を開けても
室内気候をコントロール可能になってきた。
そこで、どんな「感受性の進化」が日本人に可能なのか、
今度はそういったことが試されていくのでしょうか。
きのうのZEH論について、多くの方に読んでいただけたようです。
これまで国の施策について、疑問に感じている方が多いことを
強く実感させられた次第です。
一方で、日経ビジネスでは日本の住宅の資産価値が
なぜ世界標準と違って、投資価値として半減以下になり続けているか、
ドイツの住宅事情と比較して、考察されていました。
本来、国の住宅施策とは、国民のくらしの質の向上、
資産価値を永らえていくための方策であるべきだと思います。
そうした「骨太」の国富についての管理論が語られるべきであり、
小手先の設備機器に国民の目を向けさせるべき状況ではない。
本日は早朝に仙台に向けて出張であります。
震災後5年を迎えての現状をJIAのみなさんと見学し情報共有したいと思います。
また、ご報告致しますので,よろしくお願いします。
Posted on 2月 25th, 2016 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅取材&ウラ話
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