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タイムトラベルさせる街と建物

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一昨日のブログでもご紹介した、わたしの原風景的な街並み。
札幌市中央区に点在して残っている建物であります。
この地域は、戸建て住宅というよりは賃貸住宅が多かったと思う。
この写真の手前側、北5条通りには市電が走っていて、
その停留所が2丁間隔であったので、市の中心部へのアクセスが良く、
賑わいのある街並みが形成されていた。
こちらは、右の建物があきらかに不同沈下していて、右側が傾いている。
植物園に近い札幌の地区はもともとアイヌ語でメムと言われる湿地っぽい土地柄。
けっして地盤がいいとは言えませんが、
それにしても、こんなふうな傾斜を見せている建物も珍しい。
しかしこのモルタルの風雪感は、なにか痛切に訴えてくるものがある。

ある時代に、こういった建物があり続けて
そこで生きてきた人間たちの営為の背景になっていた。
たしか、この建物の奥、いま白い壁を見せている建物の位置に
友人の家があって、その屋根裏部屋のような部屋で
語らっていた記憶がある。
窓というモノ自体が寒さの象徴のようなイメージを持っていた中で
なるべく開口の少ない閉鎖的な建物が多かったように思う。
必然的に室内は暗くて、昼間でも裸電球が点けられていた。
そういった空間は、なにか「陰謀」のイメージがあって、
ソ連やロシアの工作員でもそこに住んでいるようなイメージを持っていた。
事実、帝政ロシア時代からこの近くに住んで、
ソ連の革命以降、日本に帰化した家の子どもが小学校の同級生にいた。
小学校に入学して後ろの席にそのロシア人の子がいて、
普通に日本語で話をしていた。やや驚愕させられた。
同級生のお金持ちの家の子からは、
ソ連が北海道に侵攻してきたら、本州内地に逃げるのだと
そんな話をしていて、そういったことが似つかわしい雰囲気を持ってもいた。
こういった建物の陰惨な印象の外壁には、
そんなイメージの刷り込みがあって、時代感が迫ってくる。
なつかしいという以上に、生々しくそういった時代の空気感が
そのままピンナップされている、そんな気がしてくる。
こういった原風景から、やがて高度経済成長があり、
革命のソ連が崩壊し、現代につながってくる時代の変動があった。

わが家は、1968年頃、わたしが高校に入学した頃に
この地域から札幌市西区に移転したのだけれど、
もうすでに60年近い以前のことが
こういった建築から記憶として立ち上ってくる。
まぁこういった建物はいずれ消えていく運命なのだろうけれど、
人間と街、建築というものの関係を伝えてくれていると
それこそ、生々しく感じさせられている次第です。

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