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冬も朝5時の朝課〜曹洞宗大本山・總持寺

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先日の東京出張の折、
横浜市鶴見にある総持寺での朝の勤行を
また拝観したいと思い、謹んで行って参りました。
鶴見でのホテル宿泊だと、東京駅からも大体20分くらいの時間距離なので
神奈川県とは言え交通立地はよく、ビジネス拠点としては悪くない。
東京の大学に通う坊主の住んでいる街からも遠くないという理由もあります。
そのうえ、ありがたいことに朝の時間にこの面白い体験も出来る。
そういったことで定宿になりつつある次第。
なんですが、さすがにこの時期の朝は明けるのが遅く、
午前5時過ぎというのは、ほとんど真っ暗です。
まぁ早起きなので、わたしは4時過ぎくらいには起きていたのですが、
さすがに冬場には行ったことがなかったので、
一体何時頃にはじめるのか、夏場は朝5時だったのですが、
さてどうなんだろうと、5時半頃をめがけて拝観に。
暖冬とは言え、さすがに5時はピリッとする寒気がある。
真っ暗な境内を抜けて、朝の勤行が行われている大祖堂に向かうと、
声明が低く聞こえてきて、「おお」と驚かされる。
やっぱり冬でも5時なのであります。すごい。

夏場に来ていたときには、お坊さんの数がたくさんだったのですが、
今回はちょっと少数。でも敬虔な祈りが捧げられておりました。
で、そこから30分ほど、たっぷりと僧侶のみなさんの読経を
やや眠気の残っているアタマに注入させていただける。
もちろん、禅の信者と云うわけではないのですが、
沈思黙考していると、その音感がカラダに染みわたってくるかのようで、
三昧感にも似た感覚が迫ってくる感じがいたします。
とげ抜き地蔵で有名な巣鴨の高岩寺では、ロックのような音感でしたが、
宗派によって、こういった音楽性には違いがある。
天平の昔、はじめて仏教が日本にもたらされた頃には、
このような僧侶たちの勤行の様子は、今の時代のミュージシャンのような
驚きを持って衆生に受け止められたに違いない。
世界性を持った文明というものが、明瞭な形で一気に示される営為。
言われている中身はわからなくとも、宗教的法悦感のなんたるかが
こういったイベントでわかりやすく伝わっただろうと、はるかに思える。
こういう機会を一般にも公開していただけるというのは
ほんとうに面白く、ありがたいものと思います。
宗教的な伝統的行為には、いろいろな歴史性・民俗性が込められている。
芸能というものが、そこから派生した側面もそこにはあるワケで、
そういう「文化」が、お賽銭・心付け程度で鑑賞できる。
各所の仏閣でこうした機会に遭遇しますが、開かれた精神性文化は貴重。
信じる信じないを超えて、ありがたく楽しんでいる次第です。合掌。

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