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日本人に「旬」意識を育んだ縄文ライフ

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ここのところ、すっかり縄文期にハマっています(笑)。
その社会のありようがほのみえるアイヌ民族の社会研究を
知人渾身の著作でたどらせていただいて、その想像力を広げています。
どうやら遺伝子レベルの解析でも、
日本人の基底は縄文にその基本形があり、
より縄文に近い民としてアイヌや、琉球の人々が列島縁辺に残り、
本州以南、九州以北では弥生以降のアジアからの流入と縄文人との融合で、
この列島の人々の形質が形成されたことが明らかになってきた。
基本は縄文と弥生のハイブリッドというのが、わたしたちの基本形。
そんな風に考えてくると、やはり母体としての縄文が
イメージ世界の中で、未探索の領域として浮かび上がってきますね。

で、最近、いわゆる「旬」という感覚が
やはり縄文由来の感覚だというように思えてきています。
アイヌの人々は、和人による農耕中心の社会とは違った、
狩猟採集に若干の農耕が入ったうえで、基本的には交易の民として
北方アジアと和人社会をつなぐかたちで生き延びてきたとされます。
かれらの暮らしも、このような交易の変遷の中で
和人社会の欲求に対応して、狩猟採集のありようも、大きく変わってきた。
サケ漁や高価なヒグマ、猛禽類鳥類の狩猟への特化があったとされる。
商品経済社会と交易することで、アイヌの生き方も変化した。
そうした変化以前の、いわば豊かな狩猟採集の時代、
それが縄文の社会のように見えてきます。
アイヌ人口は、明治初期の調査時点で北海道で2万数千だったそうですが、
狩猟採集社会では、基本的にその程度の人口密度であり、
日本列島の自然環境からすると、その程度の人口は、
ゆったりと養い、暮らしていけるような環境だったと推定されます。

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狩猟採集では、各季節ごとに食材が変化していく。
そういうなかで、いわば自然に「食欲」にもそのことが投影されていく。
冬を越してから春先の根菜類、春の食感を刺激する食材類、
山菜類などが、ひとびとの食欲を誘ったに違いない。
四季変化のそれぞれで、初鰹であるとか、
ゆたかな食感が、かれらの胃袋を刺激したに違いないと思うのです。
弥生以降の、米食だけに偏重した食習慣だけでは
このような「旬」の感覚は形成されなかったに違いない。
地球上でも稀有なほどに四季の変化、移ろいが明瞭な風土のなかで、
わたしたちは、食の繊細な感受性も磨いてきたに違いない、
そんなふうに考え続けております。

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