本文へジャンプ

竹の文化と北海道

1831

本州地域の建築を見て回っていて
それが北海道と決定的に違うと感じるのは建材としての竹。
植生限界の関係で、気候的に本州以南地域で多い、
孟宗竹や真竹などは北海道では自生しておらず
一般的には「根曲がり竹」しか見ることがなく
建築材料として使用される文化が育たなかった歴史的経緯があります。
写真は、本州地域で一般的に見られる夏用の建具に使われた竹。
このように「節」の部分を寄せ集めて
独特のリズム感を見るものに与えるデザインを創造していた。
建具のデザインって、わたしは幼少期からの人間に与える
視覚的影響力が強いだろうと思っています。
自分の少年期には、畳の目を数えたり、
障子の格子模様を目で見て、タテ横ナナメというように目を遊ばせて
なにかの知覚情報を得ていたことは確実だと思う。
このような「日本的」というイメージを構成する
重要なバイプレーヤーが、北海道には存在していなかった。
たぶん、北海道で育った人間には
こういった部分での喪失感があることはいなめない。

いわゆる竹という植物は、
ササと本来は区別が明確ではないそうですが、
イネとほぼ重なるような地域植生だということです。
イネの植物繊維をより集めた生活雑具なども
ある時期までの北海道ではありえなかっただろうと思っています。
しかし北海道移住民であっても
イネ、コメだけは執念を持って育成に取り組んだ。
最初期のコメ生産成功者には、明治天皇から直々に慰労があったそうですが
まことに「日本人」でありたいというDNA的な思いを感じる。
そういった努力に比べれば、
竹製品に対する北海道人の態度は、まことにあっさりしている。
そういったDNAについてはみごとに喪失に鈍感だと思う。
まぁ、ないものはしょがないべ、というところ。
代わりに、根曲がり竹については、
よく竹の塀囲いとして利用されていた様子を目に焼き付かせている。
幼少期、北大植物園の隣接地に住んでいたのですが
塀囲いとして根曲がり竹が編み込まれていた。
まぁもう時効でしょうから暴露するけれど、
近所の悪ガキたちは、その根曲がりの下の部分を
時間を掛けて1本、また1本と折っていって、
やがて、獸穴のような入り口を造作して
周辺の草で被覆して秘密の探検ルートにしていた(笑)。
ご丁寧にその下側の土も掘り返したりの土木工事付き。
そのような建築的被害はあったのではありますが、
いま考えてみてもあれはいいデザイン景観であったと思います。
だれか、北海道の建築家にあのデザインを再構成してほしい。
おおお、と犯罪意識を伴って感嘆する北海道の中高年はいるハズです(笑)。

どうも文化とはかなり縁遠い話題になりましたが、
北海道人の竹文化への態度について
日頃あれこれのことを思っている次第であります。

コメントを投稿

「※誹謗中傷や、悪意のある書き込み、営利目的などのコメントを防ぐために、投稿された全てのコメントは一時的に保留されますのでご了承ください。」

You must be logged in to post a comment.