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新聞というメディア

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先日、朝日新聞が2010年にも赤字転落の可能性がある、
という他メディアからのスクープがあったそうだ。
若い年代の「新聞離れ」現象は、実態としては公表されているレベルを遙かに超えているそうで、
深刻な部数減少が新聞メディアの経営基盤を揺さぶっているようです。
日本の新聞って、世界的には宅配というきわめて特異な形態で
深く暮らしに密着して発展してきた。
宅配チラシという面白いメディアも副次的に生産しながら、
このシステムを維持してきたわけだけれど、
そういう発展を支えてきた「部数拡張」という要素が行き詰まってきている。
いろいろな要素が、この事態の背景にはあると思うのだけれど、
ことがらがメディア自身に属することなので、
あまり大きく触れられることがないまま、事態が進展している。
確かに、若い年代の人、とくに20代のひとが新聞を取っているというのは
いまや、ごく少数派であることは論を待たないし、
30代になっても、そうした部分が変化していくという要因は考えにくい。
原因は、大きく言えばやはりインターネットの拡大。
インターネットは月額の接続費がちょうど新聞購読費用と見合う程度。
なので、yahooなどのポータルサイトにはトップコンテンツとして
ニュースが掲載されている。
新聞には一覧性というメリットはあるけれど、
事実の確認や把握、羅列的な配置での順序づけなど、
インターネットでのニュース配信にもメリットはあり、
テレビなども交えたニュースメディア比較の中で、新聞は必ずしも優位性がなくなってきた。
しかも新聞社のHPにアクセスすれば、新聞を見るよりもむしろ便利なくらいに
ニュースに接することもできる。
欧米メディアの場合は、もともとがスタンド販売という形態なので、
ちょっと、違う意味合いの方が強いメディア。
主張性や独自性といった部分と、人間行動に密着しているという要素で
生き延び続けてきている。
しかし、海外でもMetroというフリーペーパーが都市での人間行動に密着する配布形態で
従来の新聞メディアの地盤を奪い始めている。
新聞は結局、通勤や移動といった時間にニュースに接するという
都市型人間行動の隙間で生息してきた文化であるともいえる。
そのあたり、日本と海外では若干、事情に違いはあると思われるけれど、
いずれにせよ、大きな転換点は確実に来ていると言うことは明らか。
紙媒体の行く末は、さてどうなっていくのでしょうか?
写真は朝の散歩道のかわいいカモたち。

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