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花鳥風月を感じる家々-1

さて、東北からの建築家ご一行様、札幌では住宅視察です。
住宅の選択については、JIA北海道支部・住宅部会のみなさんにお世話になりました。
深く感謝申し上げたいと思います。

札幌という街は、住むという機能性からすると
その「環境性」はどうなのだろうか?
住む、という言葉の認識の仕方で、考え方は分かれると思いますが、
基本的には地域の成り立ちが明治以降であって、
その後、一貫して「人口増加」基調で推移してきていて
いま現在の「街並み」地域も「無縁性」が非常に強い風土だと思う。
わたしは、比較的街並み整備の進んでいる「山の手」という地域に住んでいますが、
ここでも歴史性は、そう積層感はない。
みんなが「初代」としての生き方で過ごしてきている地域。
簡単に言えば、「オヤジの代から住んでいます」という認識に乏しいのです。

そういう環境の強い地域だと、
家を建てる、ということはだんだん「個人的な体験」に近づくのではないか。
そしてそれを加速するように、
家の技術的な進化は驚くほどの速度になっている。
「伝統性」が育つような時間的熟成は間に合わず、
「具体的にどう建てるのか」ということの決断が迫られてくる。
そこで、いろいろな選択肢が考えられるようになるのだけれど、
やはりわたしたちは日本人。
比較的に市街中心部とも近い地域に自然との豊か対話環境が残されていたりする。
そういうなかで「住む」ということを考えるプロとしての
建築家は、実に直接的な感受性を発揮する。
その自邸においては「土地選び」ということにおいて、
自由に、こういった条件を満たす立地検索能力と、プラン案出能力を
縦横に発揮するのではないかと思うのです。
では、そういうときにその「起動力」はいったいなにか?

このアカサカシンイチロウさんの自邸では
まさにそんな選択の仕方を、存分に感じることが出来ました。
札幌市街の中で、自然がたっぷりと残されていながら、
利用の仕方がたいへん難しくて、残されざるを得なかった残余の土地、
そういう環境を利用して、
日本人的な感受性生活、まさに花鳥風月的な自然との対話を
直接的に実現しているといえるでしょう。
室内から、大きなピクチャーウインドを通して
花鳥風月、それも札幌では場合によっては、
これまでの日本人の体験にはなかったような
たとえばヒグマとの出会いにまで至るような(笑)、
そういった拡張された「花鳥風月」世界が展開する自然が広がっている。
そんな印象を強く持った次第です。

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