日曜日に、面白い公開講座が開かれる情報をキャッチ。
北海道駒澤大学で、表題のようなセミナーが開かれていたのです。
場所も不案内だったので、やや早めに到着したら、
なんと、試食会もあって、
写真のような昼食が振る舞われていました。
どういったものを食べていたのか、
っていうのは、その文化を知るもっとも根源的な部分だと思うのですが、
そういうようなアプローチはなかなかみられない。
写真左側が、メインの食事で、オハウというもの。
この日は、シャケの大ぶりな切り身が主役で、それにジャガイモ、
大根、ニンジン、ネギなどの「汁もの」です。
右上は、丸いのが芋モチのようなペネコショイモ。
その右側の和え物のような食べ物が、
コウシラタシケプ。(シとプは小文字)
これは、ブルーベリーのような木の実を澱粉質の食材で和えたもの。
甘みがあっておいしいのですが、
その木の実のなかにタネがあって、それを噛みつぶすと苦みが広がる。
右下は、クッキーでして、
シケレペという木の実が中に入っていました。
こういった試食メニューだったのですが、
このほかに、穀類をおかゆ状にして食べる「サヨ」というものも
大きなウェートを占めるのだそうです。
主食の汁物は、どう見ても、食べても「三平汁」。
食味もまったく同じように思いました。
この主食は、中のメイン具材が他の魚になったり、
動物の肉になったりという変化があるけれど、
基本食のようです。
和え物も、まず欠かせない食物ということ。
ペネコショイモというのは保存食として食べ続けられてきたようです。
農耕が行われていなかった、というのは誤解で
コメは、寒冷な気候もあって栽培されなかったけれど、
野菜は畑で生産していたようだし、採集の野草類、木の実などは
どこの場所に行けば入手できるということを
暮らしの知恵として保持してきていた。
コメは日本社会との交易の結果で入手していたし、
それ以外の、寒さに強い穀類、ヒエやアワは畑で作っていた。
脱穀のための水車利用の臼も、二風谷では見ることもできます。
調味料は、塩と、魚のタラから採取するタラ油が基本。
タラ油というのは、魚醬というような意味合いなのかと思いました。
食味としては、淡い甘み付けにもなるということ。
疑問として、食材はほぼ自給が想像できるけれど、
塩はどのように生産したのか、あるいは交易で入手したのか、
そのあたりが、セミナー後、質問もしたのですが、
大坂の国立民族学博物館の佐々木先生も、明確にはわからない、
というお答えでした。
人間には塩分は基本的に必要なものであり、
それがどのようなネットワークで入手されていたのか、
また大きなテーマが浮かび上がってきました。
世界的には、岩塩というのが主流のようですが、
日本列島ではそうでなく、
海水から鹹水をつくり、それから製塩するというのが伝統的。
しかし、そのためには高温条件が必要ではないかと思われ、
北海道島で、そうした営為が行われていたという記録はない。
であれば、貴重な交易入手品であった可能性が高いけれど、
そういう交易記録もほぼないのだそうです。
想像すると、コンブとか海草類を乾燥させて食材に利用するけれど、
それに付着した塩分が、かれらのいのちを支えてきたのか、
それとも、海水を甕に入れて天日乾燥で濃縮されたものをソースのように
利用して調理していたものか、
なかなか、明快な結論には至らない。
文字記録のない社会の分析って、大変ですね。実感する次第です。
あ、全部、むちゃくちゃおいしかったです!
企画に深く感謝申し上げます。
作ってくれた先生と学生のみなさん、ごちそうさまでした(笑)。
Posted on 11月 30th, 2010 by replanmin
Filed under: おとこの料理&食
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