本日は、住宅ネタ休日。三国志世界の戦争ネタ。
悲しいかな戦争は、人類の進化と常に随伴して「発展」してきた。
他人を殺すという目的がなによりも権力獲得の最有力手段であり
その目的完遂のために、兵器は進化してきた。
中国は、人口集積・文化発展において日本にはるかに先行して
この三国時代には、人口760万人程度なのに、
その戦争スケールでは、常に十数万という多数が参加して殺し合いを行っている。
そういうなかでも「赤壁」はその後、魏・蜀・呉の3国が鼎立する
最大の契機になった揚子江を舞台とした大水上戦争としてのクライマックス。
この水上戦では、矢いくさが多様に展開したとされる。
その「花形」になっていたのが、ほぼ自動化した矢の射出装置「弩弓」。
今回の国立博物館展示でも、海上の1/4を独占して
写真上のような矢戦の様子が天井一杯に展開していた(笑)。
まことにわかりやすい展示展開。
みなさん「超弩級」というコトバは普通の形容詞になっている。
たぶん、この弩は中国大陸ではどんどん進化して
その後の鎌倉期の元寇でも主力兵器となっていたのでしょう。
弩級という言葉が根付いたのは、日本では少人数・小規模の局地戦争が多かったので
弩はあまり発展しなかったのに対して、アジア征服戦を戦っていた元軍は
このような大型射出装置が発展していたので、日本側が悩まされたと言われる。
諸葛孔明が、矢をたくさん収集するのに敵陣近くまで
草屋根にした高速船を浸入させて、屋根にたくさんの矢を射させて
高速全力で引き返して、戦利品として矢を一晩で得たという逸話がある。
いかにも大陸中国での戦争営為のスケールを大きさが
三国志世界の真骨頂なのでしょう。
しかしわたし的にはどうも戦争ばっかりやっている描写は、登場人物も多すぎて
いちいち名前を覚えて感情移入するのがメンドクなったりもした(笑)。
やっぱり戦争は、桶狭間のような電撃戦とか、
関ヶ原のような戦場以外で雌雄が決しているような政治陰謀の世界の方が
ニッポン人的には、近しい感じが否めません(笑)。
PS:
どうも「弩級」というコトバについては「弩」は関係なく、
以下のようなことがらがコトバを生んだ経緯だというご意見が寄せられました。
わたしの「意見」も添えさせていただいて、書き加えます。
〜
Shigeru Narabe 弩級、超弩級は、1906年進水の英国の戦艦ドレッドノート
(HMS Dreadnought)から来ています。
https://ja.wikipedia.org/…/%E5%BC%A9%E7%B4%9A%E6%88%A6…
三木 奎吾
Shigeru Narabeさん,その通りのようですね。ただ、どうも自分的には
「弩」の方のイメージが強かった。司馬遼太郎の記述でも、兵器としての「弩」は
かなり日本人と鎌倉武士たちに強烈な体験を残したと書かれていた記憶がある。
この戦艦が登場したときに、ドレッドノートのアタマの「ド」に対して日本語として
漢字の「弩」を当てたのにはどういった整合性、必然性があったのか。
そこが知りたいと思っています・・・。
〜以上。
Posted on 8月 3rd, 2019 by 三木 奎吾
Filed under: 歴史探訪
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