この時期、いまの新ひだか町、静内では有名なサクラ並木「二十間道路」の
開花に合わせて「龍雲閣」が一般公開されます。
この建物は明治41(1909)年に貴賓舎として着手され翌明治42年に竣工した。
現在110年ほどの歴史を刻む北海道では稀有な皇室ゆかりの木造御殿古建築。
当時は日露戦争直後であり、軍馬生産が盛んになっていた時代。
その生産を強化する国家意志目的を明確にするために
頻繁に来場する皇族をはじめとした貴賓の客舎として建てられた。
皇族の来館が相次ぎ、大正・昭和の2代の天皇は皇太子時代に
この建物に宿泊されたし、現・上皇も夫婦で平成18(2006)年に臨場され、
さらに秋篠宮も夫婦で平成26(2014)年に来られています。
なんと新築当時、当時の韓国皇太子も伊藤博文の随従で宿泊したとのこと。
伊藤博文はその直後、凶弾に倒れ絶筆となった漢詩の書も残っている。
北海道日高地方が日本の「馬生産」の中心になっていったのには、
軍馬生産以来の日本としての「国家意志」が働いたことを示している。
そういった歴史経緯を明瞭に物語る建築だと思います。
ただまだ歴史が浅く史跡とか文化財指定といった要件には合致していない。
こういった経緯も知っているので時々、このサクラ見物時期には
訪問させていただいています。数回ブログでも書いています。
・・・だったのですが、きのう訪問してみて
これまで感じたことのなかった細部の傷みが目に付いた。
構造材木材の割れや、端部での漆喰壁の割れも発見した。
たぶん北海道で続いた地震による建物の劣化とも思われた。
そんなことで、ボランティアの説明員の方と会話を交わした次第。
そこで現在のこの建物の「保存」がどうなっているのか、
いくつかの情報を受け取らされた次第です。わたしども北海道人としては、
この建物は素性の明らかな皇室ゆかりの建築であり
次代にしっかりと伝承していかなければならない責務はあるけれど、
お話を聞けば聞くほどに不安な気持ちになってきた。
現在この建物の所有は、独立行政法人家畜改良センターだけれど、
農水省の管轄の法人であって独立性が薄い存在。
この建物の維持管理、さらに積極的な「活用」という意識はまったく希薄。
地域ボランティアが有志活動されているのが保存活動の「主体」という現実。
行政機構の縦割り体質の中で、保存活動は埒があかないとのこと。
数年前、屋根の銅板の一部が吹き飛んだけれど、
この「持ち主」には「予算がない」のでやむなく地元でカンパを募り
数百万円の補修費用を用立てた、とされている。
その経緯から原設計図面参照を申し入れても、この法人は所有すらしていない。
そこで宮内庁に掛け合って膨大な資料から地元ボランティアが探し出した。
軍馬産業という出自目的は戦後体制下の敬遠領域であり、省庁たらい回しという
無責任体制の結果、現状があるということのようです。
しかし建物各所で長期保存的視点からは不安箇所が散見される。
3枚目の写真は2階の主室を支える構造部分ですが、
梁には割れが明瞭であり、また継ぎ手部分周囲にはボルト補強などの
長期的には不安な構造補強箇所が見られている。
また、天井板にはあきらかな「雨漏り」痕跡も見られている。
普段は公開されずまた使用されていないことから、
劣化は急速に進行する可能性が高い。
まずはこうした事実を多くのひとに知らせて、世論を作る必要がある。
秋篠宮がほんの5年前に来臨された建物でもあり、
北海道の歴史的地域建築資産であることは明白。
なんとか、よき保存が可能になるように知恵を集める必要がある。
Posted on 5月 4th, 2019 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究
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