青森県は大きくは3つの地域に仕分けされる。
八戸や三沢・十和田を中心とする県東南部地域、
一般的には「南部地域」というようにも言えるのでしょうか。
それに対して弘前を中心にして青森市も大きなくくりでは入る
「津軽地域」という大きな地域。さらに明治の動乱の結果、
会津の人々が開拓として入植した「むつ」がある。
それらの大きな区分のなかでもそれぞれの相違があって、
非常に多様な成り立ちを感じさせられます。
今回は十和田市を中心にして行動したのですが、
この十和田は、明治以降新規開発された都市であって、
そこに日本各地から人口が流入してきた。
そういう意味では北海道・札幌と成り立ちが似ている部分がある。
八戸は南部藩の故地であり、そういう武家文化がまだ強いけれど、
こちら十和田を中心とする地域は比較的に開放的な文化を持つ。
多様な流入民が主体になっているので、オープンな文化が育ったのか。
この地域を中心的に開拓した新渡戸家からは、
国際的な活躍をされた新渡戸稲造さんが出ていて、
地域としての開明さがそこに端的に表現されていると思います。
明治以降の海外との関係性って、日本の現在の地域性にとって
かなり重要なファクターであるかも知れませんね。
北海道はその開拓思想からして北米の思想が入っており、
マサチューセッツなどからの「開拓技師」たちの痕跡が感じられるし、
函館や横浜、神戸など、そういった時代精神が色濃く残っている。
青森県でもこの地域がもっとも北海道と親和性があるのは、
そうしたスタートの時点での同質性が存在しているのかも知れない。
また、いま十和田市には安藤忠雄、隈研吾、西沢立衛などの建築作家による
建築群が中心地域を構成している。
まちづくり自体でそのように開かれた面が強調されてもいる。
まぁ、熱環境的に開かれすぎている(笑)という側面はあるとしても。
住宅文化的にも、北海道との親和性がきわめて高いと思います。
実際に地域の有力ビルダーさんと接すると、
まったく北海道標準と変わらない発想であり、合理性優先志向。
ほかの日本地域ではやや躊躇が感じられる住宅部位、
たとえば屋根形状などでも北海道スタイルのフラットなカタチに
ほとんど抵抗感がないように思われます。
こういった地域性がどのように発展していくのか、
北海道からの視線を持つわたしとしても、興味深いと思っています。
Posted on 3月 14th, 2018 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング
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