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【飛鳥大仏と奈良大仏】

年末の旅行で奈良周辺を旅していたのが、無性にこころに残っている。
奈良県の明日香村から入って、奈良の中心、東大寺を見て回った。
明日香村は本当に良い味が出ている里。
そのなかでもこの飛鳥大仏の鎮座する飛鳥寺がよかった。
来歴からは蘇我氏の痕跡が多く見られて、
その後、権力闘争に敗北した側の事跡はできれば禁忌にしたかったのだろう。
しかしその後の権力も仏教による鎮護国家路線は蘇我氏路線を踏襲したので
この寺はあいまいなカタチで残ってきたように思います。
歩いてすぐのところには蘇我入鹿か蝦夷かの「首塚」まである。
この写真左の飛鳥大仏は教科書でその名前が残されている
「止利仏師」の作品だと言われている。
この寺の建設自体、朝鮮半島からの技術移転で成立したとされ、
工事にあたったのも、半島の技術者たちが多かったのでしょう。
この止利仏師も渡来系の人物のようです。
仏教というものがなぜ日本に導入されたのか、その主体勢力の様子が
なにやら伝わってくるような背景を感じる。
この飛鳥寺の建設年代はおおむね600年代中期。
645年に蘇我氏は滅ぼされるので、その前あたりということになる。
で、一方の奈良大仏は開眼会が752年。約100年の懸隔がある。
像の大きさもはるかに違っている。
このふたつの相違を見ることで、初期の日本国家と仏教の関係が
なんとなく了解できるかのように感じられた次第です。
やはり飛鳥寺の鄙びた感じが、いまもこころに残照としてある。
奈良大仏はいまも大陸中国からの観光客が大挙して押し寄せる
古代ニッポンの象徴と言えるでしょうが、
どうも、ごく初期の仏教導入期の雰囲気のほうに深く惹かれております。

さて、本日はこれから即行動開始であります。
もうすでにわが家前の除雪は完了させて、準備は出来ています。
で、1日日本建築学会ご一行の住宅見学アテンド、運転手役。
その後、夕方6時からは北大での交流セミナー。
こっちの方は取材者としての立場と言うことになります。
一人何役もこなす感じで、心理の整理も必要であります。
なによりも安全第一で、アテンドしていきたいと思います。

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