やや不鮮明で恐縮ですが上の写真は、先般東京で見学した写真博物館で
Fujiフィルムの方からいただいた「横浜写真」集パンフレットから。
幕末〜明治のころに来日して横浜で欧米からの来日観光客相手に
英国人カメラマンがはじめた「日本土産」ブロマイドの中の一写真。
きっと当時の巨大な撮影装置を担いだり移動手段に乗せたりして、
日本各地を移動しながら、その「風俗」を記録していた。
そういうなかで北海道まで来て、アイヌのひとたちの風俗を撮影したようです。
写真を撮られるということの緊張感も多少はあるだろうし、
初めて見るだろう紅毛人たちへの好奇の表情も写っている。
写真を撮る側も取られる側もおたがい、未知との遭遇感があって興味深い。
・・・のですが、やはりハレの舞台のようで
家と丸木舟をワンセットで、誇らしげに見せよう、撮影しようという
両方の意識が画面から伝わってくる気がします。
そうなんです、家と同時にかれらアイヌの暮らしの誇らしいアイデンティティとして
丸木舟という移動手段はあったのだろうと思います。
考古的にかれらの暮らしぶりを学び続けてきて、
活発な「交易民」であるかれらにとって、移動手段はまさにプライドそのもの。
わたしは住宅の雑誌を作って、その周辺で生きてきた人間ですが、
一方でその必要性からも、いろいろな土地に「移動」する生活をしてきました。
まぁ現代人なら、ごく普通のことではありますが。
わたしが生きた60数年の中でも、この北海道島でも移動交通網は大きく変遷した。
広域的に活動できるようになったのには高速道路網の整備などが大きかった。
すぐにでも気軽に出掛けられる現代的移動手段、クルマは
この写真のアイヌの人たちの丸木舟と同様機能だろうと気付きます。
対比の意味でわが家と2台のクルマの様子の写真を(笑)。
人間が定住する生活に移行したのは1万数千年。
列島社会は比較的早くに石器時代から狩猟採集だけれど
「定住」であった縄文という時代に移行した。
それ以前の人間行動様式は、ほぼ「遊動」的な暮らし方。
遊動するためにはその手段が不可欠であり、歩行の他に有力な手段として
この丸木舟のような水上交通は、普遍的に存在した。
そもそもアフリカから出発した現生人類7万年の歴史では、
その最大事業は、地球上の全大陸に進出したこととされています。
そんなことを考えていると遊動の方が、居住よりも
より本能的な人間欲求の根源に近いのではないかと思える。
現代でも投資額でいえば、住宅とクルマの比重はどっちかといえば
クルマの方が、買い換え続けるという意味ではより大きい。
わたし自身で考えても、自宅は1軒だけ建てたけれど、
クルマは単価としては費用は1/10程度かも知れないけれど、
人生で10台近くは購入もしてきた。
そのことにまったく悔いも感じていないし、今後も投資はありつづける。
人間と家、移動手段の相互関係、きわめて面白そうだと思っています。
Posted on 7月 14th, 2017 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング, 日本社会・文化研究
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