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【武士道と禅・日本的なるもの 鎌倉建長寺-10】

鎌倉の建長寺をみてきましたが最後にふたたび武家と禅宗の関係について。 武士という「階層」はアジアでは日本でだけ成立した。 朝鮮では両班という階層ができたけれどあれは古代以来の王朝国家での 支配層が身分固定されたものであっ […]

【建築文化としての禅宗庭園 鎌倉建長寺-9】

建長寺は本格的禅宗寺院としては日本で最初期のもの。 鎌倉幕府を挙げての宗教建築文化として、宋の最新宗教文化の移植だった。 その特徴として「作庭」という分野に注目したことがあるのでしょう。 法隆寺にはそういう傾向はないし、 […]

【法堂と開山者・蘭渓道隆手植えの柏槇 鎌倉建長寺-8】

きのう見たとおり、鎌倉幕府創始と深く関わる奥州・平泉の藤原政権。 こちらが創建した中尊寺は頼朝の侵攻時、なんとか存続されることになった。 侵略者頼朝としては、配下の関東御家人・開墾地主層に対して 「御恩」としての奥州の土 […]

【平泉藤原氏滅亡と幕府誕生 鎌倉建長寺-7】

今回の建長寺シリーズは道元さんの永平寺探訪からの流れですが、 やはり鎌倉の武家政権成立期のことに触れていくほどに 奥州での坂上田村麻呂による征服戦争、アテルイ以来の東北の民による抵抗、 日本史上長期間にわたった奥羽の戦乱 […]

【仏殿の本尊・地蔵菩薩 鎌倉建長寺-6】

建長寺の本尊が安置されているのは仏殿。 外観からもわかるように「基壇建築」です。 仏教寺院の流れを見てくると、当初の法隆寺など輸入されたはじめには こうした中国式の基壇建築が建てられた。 1253年段階でも「本格的中国風 […]

【時代を主導する武家の内面世界と宗教 鎌倉建長寺-5】

建長寺の創建は1253年。創設者は幕府5代執権・北条時頼。 時代的には京都王権の政治支配が承久の乱によってパワーが衰退し 幕府権力が東国だけではなく全国に拡張した鎌倉幕府絶頂期。 頼朝による武家権力の創始から70-80年 […]

【専制体制vs「御恩と奉公」契約社会 鎌倉建長寺-4】

なぜこの建長寺について書くのにその前段の武家政権のことにこだわるか、 自分自身で考えてみると、どうも現代にまで至る大陸アジアと日本の関係がある。 日本史では鎌倉幕府という国家体制が成立するのだけれど、 この体制というのは […]

【武士道の基本プランナー・頼朝 鎌倉建長寺-3】

建長寺について書き進める予定なのだけれど、 やはり仏教の日本での推移はそのまま権力争奪史に重なる。 朝廷内部の宮廷政治の流れが学校では日本史の基本のように学ぶが、 それは政治現象のごく表面の事柄であって、 基本的には民の […]

【一所懸命=「所得倍増」侵略計画 鎌倉建長寺-2】

タイムマシンができて日本史で時間旅行ができるようになったら、 やはり平安末期の源氏による権力奪取の瞬間がもっとも刺激的ではないか。 この時代、日本の歴史人口は757万人という推定値がある。 この数字を元に考えると戦争に動 […]

【武士道の創始「日本人の心」DNA 鎌倉建長寺-1】

日本人の精神史、こころの進化プロセスの中で まずは八百万神に由来する神道があって自然崇拝型の精神があった。 そして次いで鎮護国家思想で統一国家を形成確立するのに 仏教が導入され、それが歴史時間とともにさまざまな変化発展を […]