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【微妙な茶室名「知止庵」臥龍山荘⑤ 四国住空間探訪-23】

こちらは茶室建築「知止庵」であります。 命名由来は江戸期の大名家・加藤氏の殿様の扁額文字。 「知止」の扁額は大洲藩第10代藩主加藤泰済筆。陽明学者中江藤樹の教えから 庵名が生まれた。壁の腰張は皇室の名代を徳川家で迎えると […]

【高楼懸造り「不老庵」臥龍山荘④ 四国住空間探訪-22】

この臥龍山荘訪問予定は、すべてカミさんの段取りだったので、 わたしはただ現実にあらわれてくる建築をボーッと観察していた(笑)。 なので写真の「不老庵」建築についてもまったく知識なく見物していた次第。 でも、徐々にこれが「 […]

【構造、大丈夫?(汗)伊予・臥龍山荘③ 四国住空間探訪-21】

さてこの敷地建物は少なくとも戦国期、1600年代前期にまではさかのぼれる。 伊予の肱川流域で最高の景勝地とされる立地環境。 肱川が大きく蛇行する場所にやや高台があって、 その高台にランドスケープを愛でるように建築が建てら […]

【名勝地「ミエの数寄屋」伊予・臥龍山荘② 四国住空間探訪-20】

戦国期の渡辺了(勘兵衛)が禄高2万石で戦国大名・藤堂高虎にスカウトされ 藤堂家が今治・伊予を領地としたときにかれを南予・大洲の城代とした。 戦国の頃は石田三成と島左近のように野戦指揮官・戦闘専門職の武士を 必ずしも軍事の […]

【戦国武士の懸命・伊予大洲「臥龍山荘」 ① 四国住空間探訪-19】

四国探訪篇、愛媛県南部の中心地・大洲にある臥龍山荘。 重要文化財建築で、始原伝承は戦国期の渡邊勘兵衛(了)居宅と伝わる。 渡邊勘兵衛は1601年に禄高2万石で戦国武将・藤堂高虎に将として採用された。 戦国期の武士道、いわ […]

【儒教思想出自の「義倉」 in高知 四国住空間探訪-18】

四国村野外展示で教えられた存在として「義倉」があります。 北海道の人間としてはこういう建築施設は見たことがなかった。 義倉という漢字をみて大体が想像できるように用途としては 飢饉のときにそなえて非常用の食物を蓄える目的だ […]

【高知の土蔵「門松」と座敷 四国住空間探訪-17】

この高知の土蔵訪問したのはまだ正月気分の時期。 展示施設として門松の飾りが各展示空間で見られていましたが、 ひときわ目立っていたのがこの施設でした。 高知県高岡郡檮原町の門松は家の表の道路に立松だけではなく、 竹や梅も添 […]

【高知の多雨気候対応「土蔵」 四国住空間探訪-16】

四国シリーズに復帰であります。 空海さんによる満濃池の平安初期の大土木工事など四国の北部・瀬戸内は 小雨傾向の印象が強いし、実際に多くの人造湖を見る。 そういう印象から四国全体として少雨傾向なのかと想像していたら この高 […]

【近江から徳島へ 木地師で生き延びた家③ 四国住空間探訪-15】

さて木地師の家、最終回であります。 山中に分け入って椀や鉢類を轆轤(ろくろ)を使って造る職人の集落。 急峻な標高1000m程の急勾配山間部にあったものを移築しており、 この四国村でも傾斜地に石垣を積んで移築前の状態を復元 […]

【徳島剣山斜面・木地師の暮らし② 四国住空間探訪-14】

札幌が大雪に見舞われて必死の雪かき作業に追われる中、 世界ではロシアによるウクライナ侵略が公然と行われるおぞましい事態。 ロシアは北海道が隣接して向き合っている国。 こういう侵略国が平然と存在し、隣国にあるのが冷厳たる現 […]