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【武力政権闘争と在地武士層 四国・屋島-5】

源平合戦というのは政治の主導権争いがそのまま武力戦争になった事態。 弥生時代以降、吉野ヶ里の逆茂木の様子をみればわかるように わかりやすい「富の集中」が高倉倉庫などで目に見えるかたちになってから、 この列島社会で常に戦争 […]

【源平古戦場「屋島合戦」 四国・屋島-4】

いま屋島を訪れると、瀬戸内海の風光明媚な温暖観光地ですが、 歴史としては古代国家での白村江敗戦以降の本土防衛戦の枢要地、 そして源平合戦での主要な戦闘地域ということで、 日本全体でのその軍事地理的重要性が明瞭だと言える。 […]

【屋嶋城・唐からの軍船団迎撃拠点 四国・屋島-3】

日本という国は地政学的に東アジアの一員として ながく歴史を紡いできたけれど、常に中国との関係に悩まされてきた。 日本側の社会発展も中国との交流を通じて主に計られてきたし たびたび戦争危機が訪れてきて社会変動の起因になって […]

【白村江敗戦と「屋嶋城」築城 四国・屋島-2】

昨日のブログで「四国めぐり」とシリーズ名をお知らせしましたが、 とりあえず屋島にこだわるので、「四国・屋島」と改訂します。よろしく。 上の写真は、特殊な形状を見せる屋島の尾根平面南西側区画からやや下った位置の 旧「屋嶋城 […]

【国土建設と民族の心の依り代 少彦名神社-3】

きのうはこの神社の神代の時代について想像を巡らせてみましたが 歴史年代での神社の記録とはWikipediaでは以下のようになっています。 ・1441年:(嘉吉1年)宇都宮次郎太郎、少彦名神社へ扁額『少比古廟』奉納 ・15 […]

【神話ファンタジーと事実痕跡 少彦名神社-2】

昨日はチョー暴風雪到来でブログテーマは1日順延しましたが、 北海道神宮の「開拓三神」のひとつ、個性派「少彦名」さんについての続篇。 いちばん上はWikipediaのこの項のページにある神話伝承イラスト。 どうも江戸期に描 […]

【法堂と開山者・蘭渓道隆手植えの柏槇 鎌倉建長寺-8】

きのう見たとおり、鎌倉幕府創始と深く関わる奥州・平泉の藤原政権。 こちらが創建した中尊寺は頼朝の侵攻時、なんとか存続されることになった。 侵略者頼朝としては、配下の関東御家人・開墾地主層に対して 「御恩」としての奥州の土 […]

【平泉藤原氏滅亡と幕府誕生 鎌倉建長寺-7】

今回の建長寺シリーズは道元さんの永平寺探訪からの流れですが、 やはり鎌倉の武家政権成立期のことに触れていくほどに 奥州での坂上田村麻呂による征服戦争、アテルイ以来の東北の民による抵抗、 日本史上長期間にわたった奥羽の戦乱 […]

【仏殿の本尊・地蔵菩薩 鎌倉建長寺-6】

建長寺の本尊が安置されているのは仏殿。 外観からもわかるように「基壇建築」です。 仏教寺院の流れを見てくると、当初の法隆寺など輸入されたはじめには こうした中国式の基壇建築が建てられた。 1253年段階でも「本格的中国風 […]

【時代を主導する武家の内面世界と宗教 鎌倉建長寺-5】

建長寺の創建は1253年。創設者は幕府5代執権・北条時頼。 時代的には京都王権の政治支配が承久の乱によってパワーが衰退し 幕府権力が東国だけではなく全国に拡張した鎌倉幕府絶頂期。 頼朝による武家権力の創始から70-80年 […]