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【ダイドコ空間での調理配膳民俗史 「赤城型」養蚕民家-4】

わたしは料理するのが好きなので 古民家では「どうやって食事を作るのかな」という視線で見る。 現代住宅では立って調理するのが当たり前だけれど、 それは歴史的には日本では実は「革命」だったのだと言われる。 この江戸末期〜明治 […]

【茅葺き建築と産業勃興 「赤城型」養蚕民家-3】

幕末から明治に掛けて、横浜からは生糸製品が多いに出荷された。 欧米の資本市場からはアジアからの出荷拡大が望まれたのだ。 識字率も高く、勤勉な国民性をもつ日本というあらたな世界市場参加者は 世界の資本主義市場のさまざまな分 […]

【ものづくりの「用」キリアゲニケエ 「赤城型」養蚕民家-2】

「民藝」運動は日本の建築や生活雑器から民俗を掘り起こし、 そのなかから「用の美」というコンセプトを抽象して 普遍的な列島社会での独自価値感として日本人に刷り込んだ。 わたし自身は自覚的にこの運動について興味を持ったことは […]

【民藝的な用の美 「赤城型」養蚕民家-1】

北海道で高断熱高気密住宅という住宅性能の革新が起こって それと同時にそこでの住宅建築がどのように「民族化」するか、 出版活動を通してわたしはその興味に引き立てられながら生きてきた。 温暖地日本から隔絶した気候条件の地域で […]

【散歩道で「挙動不審」なイヌ発見】

日課の早朝散歩、春先にはヒグマ出没騒動があって ことしはルートを再検討したりしておりました。 ふだん歩きまわるコースに三角山周辺があり、その山頂付近で 調査員にヒグマの巣穴が発見され、驚いた母熊が巣を放棄して脱走した。 […]

【「毛野」から毛が脱けた(笑)理由 「上毛野氏」探訪-7】

5−6世紀に群馬県地域に進出し、多くの前方後円墳を残した氏族・地域を 上毛野氏という特定名で探究してきているけれど、 その地域名が毛野であり、それを渡良瀬川でもって上下に分け、 西側を上毛野、東側を下毛野というように呼称 […]

【日本国家「中央と地方」関係形成論 「上毛野氏」探訪-6】

始原期のヤマト王権の状況をうかがい知るような取材として 奈良盆地での纏向や飛鳥での動きの探訪と、引き続いての 板東での王権勢力の伸張事例としての上毛野氏を見てきた。 中央政権による地方統治はどういう根拠に依るべきか、 日 […]

【古墳・埴輪は文字以前の感受性表現 「上毛野氏」探訪-5】

古墳という文化はある時期の日本文化を表現している。 仏教の導入、その興隆と前後して古墳文化は消えていくから その文化性の大きな部分は仏教寺院に置換したとわたし的には思う。 ヤマト王権はその勢力拡大局面では古墳文化をアイコ […]

【日本王権の「板東」進出戦略 「上毛野氏」探訪-4】

日本の王権、皇室儀式にはいまも農業祭祀が色濃い。 弥生時代から王権の「東征」という事態が進行して 奈良盆地・纏向遺跡には3世紀中頃、250年代には到達していたと思う。 日本武尊の東国遠征という説話は、畿内地域での水田開発 […]

【ヤマト王権・豪族の政戦痕跡 「上毛野氏」探訪-3】

上毛野氏というのは、古代日本史のなかで大きなプレーヤー。 渟〜ちぬの国と呼ばれた現在の堺などから泉南といわれる地域を スタート地点にして東征の道筋そのまま、勢力を拡大させて それぞれの地域で分家が進んでいったように思える […]