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通り・町家の風景

写真は、川越の駄菓子屋さん通り。
おい、いまでもこういうのあるのかよ、っていうところですが、
まぁ、日本中どこにでもあったこういう界隈性が
庶民の生き様の中心的な部分なのではないかと思います。
日本人は農家と、村社会というように基本様式が認識されていますが、
こと住宅ということを考えたら、
現代の住宅って、こういう通りと町家建物の関係を基本にして
現在成立しているのではないかと思えるのです。
士農工商っていう身分制社会の固定的観念がやはりいまでもあって
農を上に見るような考え方が強いと思うのですが、
固定された身分社会では、2男、3男といったひとたちは
こういう「町」で暮らしていく生き方が多かっただろうと思うのです。

建物の側で言うと、
特徴的なのは、主屋から張り出した屋根の部分、
いわゆる「下屋」的な部分が通りに対して日射遮蔽と雨よけになっていて
その下にさまざまな交易品が展示される。
下屋っていうものの意味合いがわかりやすく見えてくる感じがします。
この通りでは、日除けオーニングのような装置も
下屋の代わりを果たしているような店もあります。
こういうまゆのような空間性に包まれて育まれてきた
日本的感受性というものも相当に大きいと思います。
「向こう三軒両隣」というような言葉がありますが、
こういう言葉は、たぶん、農家的な集落では、集村だったとしても
あんまり実感がなくて、やはりこういう商家での意味合いが強い。
コミュニケーションというものも、こういう通りと町家の中から、
生まれ出てくるものだったのではないか。
たぶん、こういう交流は歴史年代始まってからすぐくらいから
人間は営み始めたのではないか、と思えてくる。
旅をしている人が、こういう町にたどりついて
とりあえず茶屋にでも入って、
この街の様子を尋ねる、っていうことから情報がやり取りされたのでしょうね。
こういう通りと町家は、
いろいろな成立様式があったと思いますが、
たとえばいまでも「門前仲町」みたいな地名があるように
いろいろな集客装置、神社仏閣とか、政庁であるとか、
そういう人が集まるところの周囲に生起していったのでしょう。
以前に「材木屋」の起源の話を聞いたことがありますが、
このような集客装置の中で、情報が活発にやり取りされ
そういう話の盛り上がりの中から、
「そうか、いっちょ、やってみるか」
みたいなノリで、始めたに違いないと思えるのです。

やっぱりこういう光景、
楽しいし、いろいろ好奇心をかき立てられるものだと思いますね。

北のくらしデザインセンター
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