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【住むだけの家と町家・民家との乖離感】

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いまどき、町家と言ってもイマイチ、現実感のないコトバだけれど、
住宅を考えるようになって、日本人の住意識を
掘り起こすように探求していると、いつも繰り返し「町家」に意識が向かいます。

現代の日本人の住まいは、戸建て住宅では、
いわゆる「住宅専用地域」に「住むだけ」のために建てられているのが一般的。
そういった無条件的な前提に立って、機能要件は考えられている。
ではこういった住まいは歴史的に普遍的かというと
どうもそういう痕跡は古民家などでは見出しづらい。
秋田の西方設計・西方さんと話すと、江戸時代の中級武士の家に
現代の戸建て住宅のありようは近似しているというように言われる。
現代人の住居、その住まい方は、江戸期におけるサラリーマンといえる
中下級武士のライフスタイルに一番近似している。
たしかに形は、城下町の武家の専用住宅に現代住宅のルーツは感じる。
しかしそれは、住居としての外形的ありようのことだけだと思わざるを得ない。
そもそも武家はごく少数派の人口であって、割合で言えば1~2%程度。
わたしたちのDNA的な住宅体験としては、圧倒的に「町家」「長屋」「民家」が
あきらかな歴史的体験だと思えるのです。
言い方を変えれば、町家暮らしの生活文化を持った庶民が
家のスタイルとしては中下級武士の住居に住まざるを得ないのが現代だ、
というのが、実態に一番近いように思われます。

わたしの人生での「住宅体験」で比較的大きな体験があります。
わたしの生家は農家だったのですが、3歳には札幌に移転し、
記憶がある家としては札幌中心部の商家的な造作の家でした。
その家を父は中古住宅として買い取りそこで食品製造業を営んだ。
周辺には、大きな地所を持つ有力者の家などもあり、
札幌の街割りのなかでは、大きくは「住居地域」だったと思います。
しかし大多数は、それぞれに生業を持っている家、町家が多かった。
生業と暮らしが一体になった、商家・町家というスタイルが一般的。
こどもの社会でもそういう空気感の友人たちが多数派。
で、小学校に入ってはじめて「住むだけ」の家に住む友人宅を訪れた。
かれの家は文化的な香りの「サラリーマン」の家だったのですね。
お母さんが常時在宅しているらしく、なんと茶菓の接遇を受けた。
さらにその家の佇まいは、まことに静寂が保たれていて
こんなにも違う生活文化を隣人が生きていることに驚愕した。
「住むためだけ」の家と暮らしに、むしろ衝撃を受けていた・・・。
昭和20年代当時の札幌でも、町家的な暮らしようが主流だったのです。

時を経て、住宅の仕事に関わるようになったのですが、
古層の日本人の住宅体験を深掘りするようになって、
やはりどう考えても町家・民家の匂いが、よりDNA的だと思わざるを得ない。
みなさんはどう思われるでしょうか?

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