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料理に残る歴史

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なにげなく会津の城で展示を見ていたときに見た「郷土料理」。
北海道で捕れるニシンの保存食、身欠きニシンを醤油と酢で味付けして
山椒の葉とともに重しをして漬け込む「ニシンの山椒漬け」。
なんでこんな料理が、と思ってみていまして、
その後、ちょっと調べて見た次第。
会津藩は江戸期で有数の国学がさかんな藩でした。
そうしたことから、幕末の列強による開国要求に対して
積極的に攘夷を主張した藩。
なので、蝦夷地の警護を自ら志願して行ったと言うことなのですね。
1808年に会津藩士1600名が樺太や蝦夷地で106日間、警備したそうです。
そのときにこの料理が会津にもたらされたのだそうです。
警備は厳しい自然条件との格闘だったのです。
司馬遼太郎さんの歴史ルポルタージュ(と、しか思えない調査力)によれば
この江戸期の蝦夷地警備の悲惨な実態はまさに目を覆うばかりで、
会津藩の場合はこの間での死者は50名と言うことで、
死亡率は3%程度ですが、他の藩の記録では
越冬しての任務の場合、死亡率がうなぎ登りで
場合によっては半数近くが死んだという過酷さだったそうです。
こんにちの自衛隊イラク派遣では幸いにも死者が出なかったのですが、
特段の戦争行為もないのに、この異常な死者の数。
これは蝦夷地の気候条件と食糧の問題で、
寒さの厳しい冬場に新鮮な野菜を食べることが出来なかったことによる
栄養失調が原因だったと、司馬さんは書き残しています。
会津藩がどの時期に警備していたか、までは不明でしたが、
いかに北海道の気候が彼らの生活を苦しいものにしたか、
想像するにあまりある死者の数です。
南方型の生活様式、装備の軍が、一発の銃弾も発することなく
その3%が、病死に追いやられる気候条件。
日本は寒さに対して、いかに無防備な文化であるか、
こんなことからもまざまざと実感することが出来ますね。
そんな思いで、見てみれば、なんとも胸に迫ってくるものがある料理です。

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