城って、いったいどういうものだったのか?
現代の感覚で言えば、各地の、
たとえば北海道庁と、北海道警察が近接して建っているのですが
そういうようなものである側面が第1.
こんにちではそこにいる実体は、選挙で選ばれた人間と、
国家権力機構の末端権力維持暴力装置としての官僚がいる。
それに対して、城にはナマな権力者としての殿様がいて、
通常は代行者としての「国家老」が最高権力執行者として存在している。
ナマではあっても、通常は法人的な概念で運営されていた。
だから、一般的には薩摩藩だとか、会津藩などのように
地方の名前で呼称されるケースが多かった。
いずれにせよ、城って、政治と軍事の機能が第1だったのでしょうね。
全国に残っている城のなかで、ナマな戦争道具として
最後の攻防戦が戦われたのが、この城だったのですね。
会津鶴ヶ城は明治政府軍の無数の砲弾をあびて
敗北したこともあり、戦後、棄却され廃城となった歴史があります。
その後、市民の総意で再建され、さらに更新されながら
現在に至っていると言うことでした。
前時代の機能性を失いながらも、建築として、再生されてきています。
いまの時代に、それでも愛着を持って市民に愛されているからこそ、
そのように利用されているのでしょうね。
というか、観光資源であったり、地域の統合シンボルとして
現代では利用価値がついて存続してきているものなのでしょう。
札幌など、北海道にはこういう城がないもので、
代替として、北海道庁赤煉瓦庁舎が遺されているのですが・・・。
この会津鶴ヶ城は再建されたものとしては、実によく整備されています。
近接して建てられている左手前側の棟には
再建時の様子が写真で記録されてもいて、
建築の様式も、よくわかりやすく展示されていましたね。
また、広い敷地内には茶室建築も遺されていて、
これもまた、素晴らしい建築として保存されていました。
あしたはちょっと、この茶室を見てみたいと思います。
きのうの日ハム。西武の松坂君、すごいですね。
まぁ、まったく手も足も出ませんでした。
完敗です、まいりました。ハイ。
でも、まだ諦めませんよ。何が起こるか、目は離せません、パリーグ。
Posted on 9月 14th, 2006 by replanmin
Filed under: 歴史探訪
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