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【京都・伊根と北海道「環境」の巨大隔絶/日本人のいい家④】



北海道をベースにして住宅を考えると、自然環境というのは、
冬期の積雪寒冷が最大のテーマであり「暴虐な自然から身を守る」ことが
亜寒帯地域居住での無条件的な希求ということになる。一方で
伝統的ニッポンでは亜熱帯から温帯での自然環境への「最適化」が追究されてきた。

日本人は歴史年代を通して、当然ながら食料生産活動を最重要経済活動として
コメ生産を基本にして生存してきた。その最適地、あるいは多少条件がよくなくても
克服して適地に「変えて行く」発展を全体として追い求めてきたのが日本史の基本。
そのコメ生産が水利の利便性をもとめて河川流域の開発に傾注していって
当然のように周辺平地の拡大へと進化発展し、やがてその集散中心地として
都市が形成されて商業が生まれ、人口集中構造が出来上がっていった。
その人口集積が「労働力」に変容して工業発展も促進されていった。
しかし、この列島は四周を豊かな海で囲まれていて、
縄文的ライフスタイルとしての「漁業採集」型という原初的生活様式も存続した。
日本社会の主流はコメ生産型だったのでこっちの方は、
いわば原初期型「散村」的漁村として列島各地に分散的に形成された。
やがて漁業も大型化して、遠洋などの出漁も進むと集住が大型化して
いろいろな機能を果たす「業業基地」的な都市も形成された。
そのように日本人の「住」を考えてきていたけれど、
写真の「海の京町家」伊根の様子を見て、強く衝撃を受けた。
海との共生ということがタイムカプセル的に存続し、お伽噺のように成立している様子。
温暖地的「環境との調和」というありようをまざまざと目にさせられた。
日本海が大きく湾入りして穏やかな様相を見せている京都府北部に位置。
日本海の「外洋」の風波からはその湾入りが保護してくれている。
歴史年代を通して、大都市・京都と適度な距離(125km)があって遠からず近からず。
経済的交流と独自地域性が両立し得たものなのだろうか。
まるで縄文の世がそのまま一定の都市化も果たしながら
奇跡的に現代まで生き延びてきたようなありようを見せてくれている。

伊根の「町家」群は海に向かって各戸が船の「駐車場」を持って軒を接している。
開口はおおむね海に向かって開かれていて、自家用船ですぐに海のくらしができる。
海生動植物採集という生存条件に忠実に、それが小都市にまで発展進化している。
「いい家」という概念が、非常に直接的に表現されていると。
海という環境に対して、自然に適応して暮らしがあり得た奇跡。
たぶん、北海道的な自然とはまるで違う「環境」意識があるのだろうなと思えた。
太古から続く「自立循環」型のライフスタイルとも言えるのだろうか。
天橋立から車で30分だけれど、歴史年代を通じて一番近い人口集積地・舞鶴などへ
船での交通で行き来してきたに違いない。孤立集落的な感覚はなかっただろう。
こんな奇跡的におだやかな「環境」というものがあり得ることが
北海道人には打ちのめされるほどの衝撃だった。

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