囲炉裏は日本人がながくDNAに刷り込んできた暖房装置。
日本ではこの囲炉裏端が「食遊空間」でもあり続けた。
「家族」という繋がりは人類が進化プロセスのごく初期に選択した
種の維持文化とされるけれど、囲炉裏はそこに根がらみしている。
たぶん夜になって暖を取らなければ休息を取れない熱環境で、
人間の生命が永らえてきた炎への記憶が住空間に存続したのが囲炉裏。
同時にそれは、生命維持のための食にも深く関係してきた。
座卓文化の日本では卓を共有しての食事よりも膳に各人の食器に
食材を盛り付けて食事するという風習が一般的だった。
この囲炉裏を囲んで、各人の膳に盛られた食事を食べるスタイル。
あるいは、囲炉裏の周囲の仕切り木材が膳の代わりにもなっていた。
写真は会津若松の城下「家老屋敷」の台所土間と
板の間の中間に切られた囲炉裏。
囲炉裏はそれぞれの住宅・建物でその配置が工夫されているけれど、
このように土間から連続して、板の間との段差を活かした配置もよく見られる。
ちょうど縁側が簡易な「応接」として家人側が板の間に座り、
客側が土間などから腰だけを板の間にかけて対話する場面とも近似する。
家人側は気遣いして「上がれ」というけれど、
客人側は遠慮しつつ「いえ、こちらで結構です」と謙譲しながら対話する、
というような日本人的な相互信頼的繊細さの感じられるコミュニケーション。
台所土間でも、これよりもさらに気さくなコミュニケーション装置として
このカタチの囲炉裏は人間交友の空間を成立させていたと思われる。
縁側が主人との対話機会とすれば、こちらは奥さんとの対話っぽい。
まことに生命維持により近い生活そのもの空気感がただよう。
夏期以外ではたぶん火が入れられていて、
客人には暖を応接道具として提供し、簡単な白湯、麦焦がしなどがふるまわれ、
興が乗ってくると、あるいは自家製漬物などが提供されたのではないか。
いかにも気兼ねのない人間関係の象徴のように使われる空間。
現代住宅では、こういう人間関係建築装置というのは見いだせない。
なるほど暖房装置は進化し、食卓空間も機能的になったけれど、
しかし対人関係コミュニケーション装置としては、とても敵わない。
玄関というのはいかにも正式な対面であり、それほどでもない日常的な
交友関係、情報伝達関係ではこのような空間が使われた。
コミュニケーションにいくつもの「レイヤー」が存在して
無意識のうちにそれら機能使い分けが社会「礼儀作法」として存在していた。
非常に繊細な「精神文化的」な暮らしようではないだろうか。
想像をたくましくすると、家人も普段はこの板の間の別の囲炉裏などで、
日常の食事は済まされていた。
なので、この土間囲炉裏と板の間の間はこれもシームレスに連続していた。
いわゆる「オモテ」とは違うやさしいコミュニケーションの確かな存在感。
江戸期までは身分制社会であり武家は格式重視の家づくりだったが、
このような「台所空間」では、堅苦しい身分制が
ある程度緩和されたものに変化していたと思える。
日本的「融通無碍」という雰囲気を感じさせてくれる囲炉裏の形態ではないか。
Posted on 10月 13th, 2020 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング, 日本社会・文化研究
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