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【会津45万石「行政庁舎」家老屋敷/日本人のいい家⑥】



「いい家」シリーズで日本人の住空間を考えてきています。
一応テーマは、環境適合とくらしのありよう、みたいなことであります。
環境適合とは地球各地の自然条件のなかで人間が家によって生き延びてきた
そういう側面から住環境を考える視点。
とくに寒冷地北海道を開拓し、殖民を進めたことで日本は
ちょうど西洋文明の全的摂取に国を挙げて取り組んでいた時代と同期して
北海道はまさに「実験的」大地として、住宅も進化させた。
そういう環境適合の視点から、現代住宅の方向性を考えていくもの。
で、もう一方は、人間の生き方とか暮らし方を掘り起こしていく視点。
いわゆる伝統的な文化、様式や格式といった社会性とか、
個人主義が根付いてきて以降の「個性表現」、ライフスタイル表現などが
住宅にどのような足跡を刻印するのかを探るというもの。
とくに新型コロナ禍以降、生き方的な視点に強い関心が出てきていると思います。
その両方の視点を行きつ戻りつ、浮き彫りしてみたいということです。


この写真の建物は住宅、というよりも社宅とか、政庁と分類すべきかも知れない。
会津藩家老屋敷。オモテの石高23万石、実質45万石の藩の
政務一切を取り仕切る家老の政庁であり、居宅でもあった。
ちなみに江戸時代が終わった段階で全国の石高は3,000万石。
日本全体のGDPの1.5%相当の政治経済を運営する政庁。
いまの日本のGDPは540兆円。この時代は商業への税支配は強いとも言えないが
現代に換算すると単純には8兆円、たぶん4−5兆円くらいの財政規模で発生する
いろいろな「公務」がこの役宅で予算組みから決済、管理されていた。
って考えると、この建築の存在理由は自ずと知れる。
家老の個人生活領域も一定の確保はされているけれど、
さりとてそれは「殿様」のようなそれではなく、あくまでも「高級社宅」。
間取りを見ると、事務所的な個室群が多数展開して、
たぶん増築に次ぐ増築で床面積が拡大していったのではないかと想像できる。
このくらいの財政規模で各種の「公共事業」について
起案し、公儀決済のための書類作成し、運用していく作業は
事務所も必要であり各種陳情受付、打合せ対応のための応接も不可欠。
江戸時代のそういうやり取りは、密室での「◎◎屋、おぬしもワルよのう、ぬふふ」
ばかりではなかっただろうことは明らか(笑)。
基本的には江戸時代の「行政庁舎建築」というのが実質なのでしょう。
いまの時代で言えば、各地方での中核的行政庁舎、県庁・都庁などか。
武士という階級がどんなふうにこの時代を運営していたか、
その痕跡を残してくれている建築と考えると面白みが深まってくる。

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