北海道では全国を先導するカタチで住宅性能の研究と実践が
歴史的に活発に展開してきましたが、その特徴は「官学民」の交流連携。
まずはあたたかい家を希求するユーザー密着の地域工務店活動があり、
開拓使由来の殖民推進DNAを感じる行政側の施策があり、
それらと連動するカタチで研究者の開発努力が積み重なっている。
こうした、いわば地域総体の「コンセンサス」が基礎にあって、
住宅の性能向上は道内各層を串刺しする意思として共通言語化されていた。
それには活発な「情報交流」活動が強い推進力だった。
今回の新型コロナ禍は、こういった北海道地域の交流活動にも影を落とし、
年6回ほど開催と活発だった地域工務店グループアース21の例会も
ほぼ8カ月間休止せざるを得ず、情報交換機会が毀損させられていた。
その危機に当たって、WEBを活用した情報交換も模索されてきたが、
やはり情報機器・手段活用の面では、個人差がありすぎて、
ツッコんだ意見交換が進みにくい、というのが正直なところ。
それはそうだろう、リアル意見交換なら日本語コミュニケーションさえできれば
自然に自分の意見を発信できるし、他者のホンネも聴ける。
それに対してWEB利用では、まずPC、スマホの使い方から始まって
Zoomの使い方、画面共有の技術差などなど、それぞれクリアは容易とはいえ、
どうしてもスキルに個人格差があって、論議する中身に集中しにくい。
そしてそのスキルは必ずしも各人の情報把握力とは相関もしていない。
また、発表者以外の参加者の「反応」なども大きな情報ファクターだけれど、
WEB環境だけではまったくわからないし、伝わりにくい。
どうしてもリアルとWEBにはコミュニケーションレベルに「ズレ」があることが否めない。
このあたりには「恥の文化」の日本人の悪い面が表出してしまう。
自分の意見発出に当たっても、どうしても制約的になってしまうのが日本人。
1対1ならば、人間的信頼関係があればホンネが言えるけれど、
多数相手にWEBを通してホンネで対話するのは日本人メンタルに似合わない。
WEBセミナーに至っては、ただただ発表者の一方的発表を聴くだけで
参加者の主体的関与が保証されない。ただ聞くだけの時間は耐えられない。
そのうちに予約時間すら忘れるようになって、ほとんど意義を失う可能性がある。
で、今回久しぶりにリアルでの会合機会が実行された。
たしかに通常の例会と比べて出席率は約7割と落ち込んでいたけれど、
やはり人間の表情と声音、そして公式的対話と「ここだけ」会話とが
融通無碍にシンクロするコミュニケーションはまことにストレスがない。
・・・わたし自身もそうだけれど、最近のWEB会話環境では
「表現意欲・パフォーマンス能力」が減衰していることに覚醒させられた。
今回とっさに発言を促されたとき、ふだんなら可能な応答レベルに達しなかった。
知らず知らずものすごく抑制的・自閉的になっていることに驚ろく。
要するに、ひとに自己表現で考えを伝える行為から遠ざかっていたことに気づいた。
無意識のうちに自分のなかで制御が作動していてそこから復元するのに
ある心理の「乗り越え」が必要になっていたと思われるのです。
自分でも「あれ、なんか脳ミソ働きが鈍っているのでは・・・」というもどかしさ。
リアル会話では相手の受け取り方がストレートに「見える」のに、
WEB会話では「ヘンな顔はできないしなぁ」という自制心が強く働いて
その無表情対応が、思考・表現力に悪影響を与えるのではないかと自己分析。
やはりリアルとバーチャルは両輪があってお互いが生きてくる。
コロナ局面ではリアルの情報感度が鈍磨しないよう意識して維持する必要がある。
そういった気付きを得られた、久しぶりのリアル情報交換でした。
Posted on 10月 15th, 2020 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング, 日本社会・文化研究
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