なんとも不気味な9月27日昼過ぎの地震の情報ですね。
ここまで広域の内陸地域での地震というのは、あんまり記憶がない。
今回地震は広域ぶりを見ると富士山火山活動と関係しているのではと不安。
日本史にかなり大きな影響をもたらせた富士山の噴火。
気になって、WEB検索でいろいろ地震と噴火自然災害を調べて見た。
直近では東日本大震災時、平安期の貞観地震・大津波が記憶再生された。
その当時、先行して富士山の噴火記録が歴史に記されている。
富士山・貞観の大噴火が864年-866年で貞観地震が869年7月9日。
このときには富士山噴火が先にあって3年後東北沖で大地震が発生した。
大津波は、現在仙台駅のごく近くの「国分寺」まで襲ったとされる。
現在は東日本大震災から10年程度というスパン。連動性への素朴な不安。
以下、調べた古記録では富士山噴火は781年以後17回の記録とのこと。
噴火は平安時代に多く、800年から1083年までの間に12回の噴火記録。
歴史時代の「富士山三大噴火」は、延暦の噴火(800-802年)
前述の貞観の噴火(864-866年)と江戸期の宝永の噴火(1707年)。
『日本紀略』に記録の「延暦の噴火」は、山頂から激しい爆発と溶岩の流出。
いちばん近い大噴火は1707年12月16日(宝永4年)宝永大噴火。
大量のスコリア(火山噴出物の一種で、塊状で多孔質・暗色の岩滓)や
火山灰を噴出。この噴火は日本最大級の地震・宝永地震の49日後に始まり、
江戸市中まで大量の火山灰を降下させるなど特徴的な噴火とされている。
宝永地震は東海道沖から南海道沖を震源域とした日本最大級巨大地震。
南海トラフのほぼ全域にわたってプレート間の断層破壊が発生した。
以後、現在に至るまで富士山は大きな噴火はしていない。
日本史を知るほどに、社会の動向には天変地異が決定的誘引と気付く。
ヤマト政権成立時期、群馬県に関東の中心勢力が存在したけれど、
榛名山の巨大噴火、泥流でその本拠地地域が壊滅的被害を受けて
関東の経済的発展、政治的発展が大きく遅れたとされる事態。
その惨状は近年の発掘調査で明らかになってきている。
また、のちに天下を掌握した徳川家康の運命に非常に大きく関わった事態。
小牧長久手戦後の秀吉—家康の緊張関係の高まりの状況下での大地震。
のちに天下を取ったからすべて家康がやったことが正鵠を穿っていたかというと
けっしてそうではなく、秀吉の謀略戦によって家康はかなり追い詰められていた。
秀吉側からの包囲重圧が加速していて重臣石川数正による離反も起きていた。
この時期は家康は対秀吉強硬姿勢一点張りだったとされるけれど、
まさに絶体絶命で、強気に出るしか家内をまとめられなかったのだと思える。
秀吉側は徳川攻撃のために最前線城郭に大量武器弾薬・兵糧を集積させたが
攻撃直前になって当時の大型地震で秀吉側に大被害が出て
攻撃作戦がやむなく中止になり、和議の方向に政局転換していったとされる。
その後の秀吉施政下でも伏見大地震があり、当時は地震の活発期だったよう。
歴史にもしもは考えても仕方ないが、事実としてはこのような事例があった。
もし現代で噴火による火山灰が大都市に降り注いだ場合、どのような
被害状況に立ち至るか、あるいはそうした事態への備えは? と考えると不安。
その後、多少の噴火記録はあっても比較的平穏な状況が続いているけれど・・・。
人知の及ばぬことであり、注意深く暮らすしか対応のしようもない。
もし発生すれば社会変動は避けられない。用心は不可欠。
日本火山列島の中核・富士山の火山活動の平安を祈念したいと思います。
Posted on 9月 28th, 2020 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究, 歴史探訪
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