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【やがて歴史になっていく都市風景と建築】


上の写真は、月刊誌「HANADA」1月号のグラビア写真より。
「占領下の日本」と題された特集の中の1枚であります。
写真の提供は「昭和館」という東京九段にある国立施設で、
戦中戦後の国民生活の歴史的資料・情報を次世代に伝えるというもの。
ジェラルド・ワーナーさんという方の撮影。
かれはGHQ外交局の幹部将校で1948年から1950年まで日本に来て
終戦直後、復興期の日本を夫人とともに探訪して写真撮影した。
活気ある戦後復興期の様子が写真から伝わってくる。
写真はそのうちの1枚で、札幌駅とその周辺を撮影したもの。
手前側には市電・札幌駅前の様子も見えている。
この停留所から手前側に、大通りや4丁目などの中心繁華街が連なる。
わたしの生年は1952年で、3才のとき1955年に札幌に移転した。
わが家は、この札幌駅から約1km西にあって、この札幌駅前の市電から
停留所は2つめか3つめの「西11丁目」停留所だった。
この札幌駅前は西4丁目か3丁目に相当する。
歩いてもそう遠くない駅のそばに住んでいたことになる。
この時期に札幌駅舎は新装されて、下の写真のように建て替えられていた。
この駅舎は1952年に供用が開始されたとされているので、
わが家が、岩見沢市栗沢から一家で移転してきたときには、
この駅舎を利用していたことになる。
上下の写真を見比べると、木造とRC造の違いがあきらかで、
復興期を超えた時代に、わが家は札幌にやってきたことになる。
ただ、やはり上の写真が浪漫的なのに対して下はモダニズム的無機質さを
どうしても感じてしまう。時代精神がこうしたデザインに顕れている。

わたしは、6人兄弟の末っ子として育ったので、
母が「里帰り」で岩見沢市の次の駅、三笠まで出掛けるときには
札幌駅からの道行きにいつも同行させられた記憶が鮮明に残っている。
ときどき夫婦ケンカの末に母親が家を飛び出して、実家に戻ったこともあったようで
そんな事情が子供心にわかったときもあった(笑)。
父が母に詫びていたようなおぼろげな記憶もある。
そんな移動の行き帰りにこの札幌駅を利用していた。
一度など大雪の時に三笠まで行ったので、三笠駅まで母の実家から
若々しい年上の従兄弟が「馬そり」を仕立ててくれて、
夜道を走って母の実家に着いたようなこともあった。
そのロマンチックで甘美な道行きが幼年期の精華だったと感じている。
そうした行き帰りのときの情景が鮮明な記憶として焼き付いている。
わたしがいまでもいろいろな地域に出張を重ねても苦にならないのは、
こういった幼年期からの体験記憶が大きいのかも知れない。
父母の夫婦喧嘩に感謝しなければならないのかも(笑)。

建築は、ひとびとの人生に寄り添って
その情景、背景を構成してくれる。
上の写真の駅舎はわたし自身は経験していない建物ではあるけれど、
空気感としては、なにか同質性を感じさせてくれる。
また、市電の停留所にはたっぷりとその空気感が垣間見える。
いま生きている時代もやがて歴史になっていくことを
まざまざと感じさせてくれる光景だと思った次第。
さて本日から3日間、千歳空港から関西へのことし最終出張です。

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